イスラム過激派がテロを起こす度に、イスラムは平和を愛する宗教だ、彼ら過激派は例外だと良く言われる。
だとしたら、僕は、イスラムの偉い法学者が、「テロはイスラムの教えに反する」と言うファトワー(イスラム法学上の勧告)を発し、テロをハラーム(禁止事項)にしてしまえばいいと思っていた。
しかし、今回、たまたまネットで、橘 玲(たちばな あきら)氏の「イスラムには、テロを批判する論理が無い」という一文を読んで物事は僕が考えているほど単純では無いと知った。
同氏によると、イスラムは、神(アッラー)以外のいかなる権威も認めない。従うべきは神だけで、世俗の権力者や国家はもちろん、カトリックにおける教会のような宗教的な権威もイスラムには存在しない、とのことだ。
神の下で全ての人は平等であり、「いかなる人間の組織にも他者を従属させる権利はない」という“神中心主義”がイスラムの根本原理だそうだ。
従って、あるイスラム教徒がジハード(聖戦)としてテロを行なうのはその信徒の「内心の自由」で、神がそれをジハードと認めればその信徒は天国に直行し、殺人と見なせば地獄の業火に焼かれる、そういうことらしい。
ジハード(聖戦)としてテロを行なうか否か、行うとしてその対象者はアメリカ人か、シリア空爆に参加している国の国民か、今回のように異教徒の外国人にするか、また、場所は酒を出しているバーやカジノなどイスラムの教えに反する場所か、それとも普通のレストランや駅や地下鉄などの公共施設か、などなどを、信者自身が自らの宗教的信念に基づいて自由に決定しテロを実行出来て、神様以外の誰もそれを批判したり止めたり出来ない、としたら、やはり怖い。



