お施餓鬼は
阿闍梨たるもの毎晩作法せよと
師からは伝えられているのですが、
なかなか覚悟が決まらなくて
日々の修法で使った生米を
撒いてお茶を濁してしまっております。
しかし。
数日前。
あれ?こんなところに?なんで?
と、思った出来事がありまして。
これまでに伝授していただいた次第は
全てひと所に纏めているのですが、
何故だか、全く別の場所から
ひらりと一枚出てきたのが
略式の施餓鬼供養のお次第でした。
あり得ないことがあり得る世界。
……もう向き合うしかない。
の?
そんなタイミングもあり
有り難いご縁もいただき
高尾山不動院の施餓鬼供養を
申し込みさせていただきました。
御詠歌としてもご出仕させていただき
有り難い時間をいただきました。
最初に鈴木先生からの御法話をいただきました。
施餓鬼供養にあわせて
阿難尊者のお話と
木蓮尊者のお話。
それから施餓鬼の棚についてのお話でした。
御法話の後
『施餓鬼供養和讃』をお詠えしました。
続いて
御前様の入堂に合わせて
『いろは和讃』です。
最後は
御前様の退堂に合わせて
『灯影』をお詠えしました。
施餓鬼供養では
大抵不思議なことが起こります。
これが実は私的に怖いと言うか
……なことで、
自庵では、毎夜お施餓鬼を
しない理由の一つなのです。
供養の最中、お経をとなえている時です。
読経の声に混じって
掠れた甲高い声が聞こえてきます。
最初は、前に座っている御坊かと思って
耳を澄ませたのですが、
御坊の声とも違います。
般若心経や観音経なら
唱えられる方もいらっしゃるでしょうが
声明や、理趣経からのところは
あまり一般的では無いので
お檀家さんたちでは無さそうです。
後から伺うと。
私の隣の方もその掠れた声を聞かれていたそうで
私の方から聞こえてくるので
私が、『声が掠れているのかな。』と、
思ってらっしゃったそうです。
先ほど、
阿難尊者のお話を聞いていたので
僧であっても餓鬼道に堕ちることは
無いことではない。と思い
だからお経を唱えられるのか…と
ふと思ったりしました。
自分の死後、餓鬼道に堕ちると言われた
阿難尊者。
自分の母を神通力でみたらば
餓鬼道に堕ちていることを知った木蓮尊者。
どちらもお釈迦さまに相談なさるのです。
お釈迦様の答えは
『布施をしなさい』
『仲間を募り餓鬼に供養をしなさい』
とおっしゃったのでした。
私たちは
知らず知らずのうちに
貪瞋痴におかされます。
修行への強い思いは執着となり
周りを見えなくさせます。
その結果、周りを大切にすることを
おざなりにしがちになるのです。
自分の身に落とし込まないと
いけないと思ったのでした。
話は変わりますが。
御詠歌の集合時刻は
10時から10:30まで。
10:30には御法話が始まるため、それまでには
不動院にいかねばなりません。
今日は御礼や祈願の方もご一緒だったので
施餓鬼供養の前に御礼に上がろうと
早めに高尾山へきて、
お護摩に参座いたしました。
9:30からのお護摩に参座したのですが、
終わったのが9:50。外に出て52分。
できれば、10時発の下りケーブルカーに
乗りたいとダッシュしました。
8分しかないのですが、
一度も足を止めることなく
ギリギリ間に合うことができました。
日々のトレーニングの成果でしょうか