法力峠での少し長めの休憩(7分くらい)を終えて
先を目指します。
崩れ落ちる寸前の
谷へ大きく傾いだトイレ。
そこを過ぎると見えてくるのは…
ここから先は
比較的歩きやすいフラットな道と
段差がある岩場や、
腰まである様な段差の木の根を乗り越える場所が
交互に現れるような感じです。
段差のある岩場や木の根に足を掛け
体を引き上げるたび、
また少し頂上へと近付く感覚があります。
急勾配の水が滲み出た場所をあるいているうちに
足が攣りそうな感じが続く様になりました。
そんな場所で、
つま先しかかからない様な岩を
乗り越えた時、
ひめいをあげそうだったふくらはぎに
痛みが走りました。
いたたたた💦と、両足が攣りました。
うずくまりたいけどうずくまる場所がありません。
少し先まで上がり、
なんとか腰を下ろせる場所を見つけて、
足を止めました。
後ろの方に先へ行ってもらい
連合会の先達に後ろに入っているアミノ酸を
とってもらい口に入れました。
アミノ酸3700です。
山に入る前、歩き出してすぐに
アミノ酸のパウダーを飲みましたが
2回目を飲めてませんでした。
もう少し早いタイミングで飲んでおけば
足も攣らずにすんだかもしれません。
休憩のたびに水分を一口ずつとっていましたが
水分も不足しているのか
口が痺れていて、指や手が小刻みに震えています。
私に付いて残ってくださった先達が
『もう少しだから、
慌てずゆっくりしっかり休みましょう』
『アミノ酸パウダー4000持ってますよ。』
と、声をかけていただきました。
まだ足は攣っていて
ふくらはぎがパンパンです。
そしたら、先頭の山先達が『足がつったんやったら、
これ飲むといっぱつですよ!』
と、ツムラの漢方薬を渡してくれました。
68番。芍薬甘草湯
血流障害からくる性急な痛み、
腹痛、腰痛、攣り、胃痛、膝痛などに
よく効くんだそうです。
飲んですぐ。3分もしないうちに
ふくらはぎの筋肉がふわーと、
弛んでいくのを感じました。
凄い!
全く攣る気配が無くなりました!
10分くらいだったと思います。
登拝再開です。
少し上がった先で休憩中のみんなに
追いつくことができました。
みなさんが『大丈夫ですか?』
とお声がけくださり、有り難かったです。
これまで足を止めた事がなかったので
足を止める人の気持ちを、知る事ができました。
良い経験をさせていただきました。
だんだんと空が明るくなり
夜が明けてきました。
この辺りから、山先達がしきりに
『大きな倒木、丸太🪵、
崩れ落ちる寸前の橋、
そして鎖場。
この三箇所を無事に超えること。』
と、何度も繰り返しおっしゃっていました。
夜の深い闇の中を歩くうちは
あまりピンときませんでしたが
帰りに同じ場所を通ってみると
帰りの明るい中を来た道を戻っているはずなのに
まるで初めての道を歩く様でした。
丸太というのは
道を塞ぐ倒木を道幅分だけ切り落としてあり
その間を通らせていただきます。
そんな箇所がいくつもありました。
帰りには、こんな間を歩いてたんや!と
驚きました。
数カ所、朽ちた板が乗るだけの橋や
ステップが片側だけ腐った階段、
乗ってはいけない鉄板などなど
PRGのトラップかと思うような箇所があり
こんなん山先達から聞いていないと
知らずに踏み抜いてしまいそうな
危険な箇所が何箇所もありました。
そしていよいよ
鎖場です。
一人ずつ、岩肌にしがみつく様にして
鎖を離さないように必ず両手で掴み
つま先を乗せられる場所を探りながら
3点が必ず何処に接着している状態をキープしながら
進みます。
右手は谷になっています。
一番慎重さを求められる場所です。
Uの字になっていて
Uの底のカーブの場所が、鎖場です。
そこで、私は奇妙な体験をしました。
一番緊張と集中が必要なタイミングです。
そんなタイミングで、
吹き出さずにはいられない様な
不思議ないでたちをしたモノに遭遇しました。
この話も後でまとめて
別記事にしますね。
とにかく、私はなんか妙なテンションに
なってしまい、その様子を見ていた先達に
『集中してください。真面目に集中!』
と、有り難い喝を入れていただきました。
そして無事に鎖場を渡しました。
あのタイミングで引き戻して頂かなければ
危なかったのだと思います。
その有り難さに気付くのは下山してからです。
その先はどんどん山の稜線が近くなっていきながら
雄大な自然林の中を歩いていきます。
道の左右で景色が違っていて
私が一番好きな場所です。
ミズナラやブナ、カエデ類などの
落葉広葉樹林が人工林の杉林と入れ替わっていきます。
風に散ったのか
カエデ🍁の葉が、道に落ちていて
砂利道のような足元を楽しませてくれています。
稲村が岳では、天狗の話を聞かないのですが
天狗の足跡のようです。
10月中旬には紅葉を楽しむことができるそうです。
足元には
遥か昔は海の底だった証があり
(山先達に聞いてみると
『大正解!なんでわかりました?』
とおっしゃっていました。)
こちらの記事を参考にさせていただきました。
有難うございます。
【稲村礫岩層】
紀伊山地は、フィリピン海プレートが沈み込んでいく際に堆積物が剥ぎ取られていった幾重もの「付加体」によって形成されている。大きく分けると、古い方から「秩父帯」そして「四万十帯」と続く。稲村ヶ岳周辺は、ジュラ紀にできた秩父帯の泥岩層である。ところが、大日山を見上げながらその基部から稲村ヶ岳へ延びる登山道沿いの岩壁には、握りこぶしより大きな丸い礫がぎっしりつまった礫岩層が見てとれる。先の泥岩層は海の底深くに堆積したものだが、後者の礫岩層は、陸上から土石流がどんどん流れ込むような陸地の川に近い海底でしか作られない。
つまり、ジュラ紀にできた泥岩層が剥ぎ取られて付加体となり、やがて隆起して陸地となる。さらに浸食を受けながら平坦な陸地となるが、再び沈降して海底となり、そこへ土石流が流れ込んで礫岩層が堆積した。そして、もう一度隆起して稲村ヶ岳の原形ができあがったとされている。(参照:『大峯山・大台ヶ原山』大和大峯研究グループ
大日山及び稲村ヶ岳に山頂付近にみられる礫岩層は「稲村ヶ岳礫岩層」と命名されており、容易に確認できる。一方、登山道には泥岩層が露頭しているところがある。堅い泥岩層の上に堆積したと礫岩層は比較的もろいため、そこを削って登山道が敷かれたのかもしれない。標高1700m付近に見られる礫岩を是非確認されたい。
山の頂上付近を歩いているのに
海の底をあるいているような
そんなふわふわした感覚を楽しみながら
進むと頂上に!
続きます