早朝3時半。
秩父を出発したメンバー様一行が
我が家まで迎えに来て下さいました。
静かに荷物を積み込み
いざ出発です。
車内での会話は
既に修行モード。
一路京都を目指しながら
いろいろな話が弾みます。
何気ない会話の中に
キーワードになる言葉や
気にかかる言葉があって
流れをつなげていかなくてはなりません。
限りある中ですから、自分軸と照らし合わせながら
取捨選択しながら、会話を進めていく。
一つの会話の中の
幾筋もある脈絡の中から
《自分が何に反応して、返答するのか。》
を常に意識しておく必要があると思っています。
返答に沿って話は流れていくので
お話を伺いながら、
幾つも浮かぶ返答のパターンから、
どの流れを選択するのかは
とても大事だからです。
これは、自分の理解の深度だったり
修行の進み具合をチェックされたりする
自分の理解の至っている場所を伝えながら、
お話を伺います。
違いはなんでしょうか』
返答の仕方で、
自分の理解の範囲をお伝えする事ができます。
ではもう少し掘り下げても大丈夫だな。)
わかりやすい例を加えよう)
相手に合わせた内容に修正しながら、
まさに待機説法なんだと思うのです。
本当は、
修行の場において、
雑談ほど怖いものは無い
長い静岡を抜けると
湾岸線へ。
四日市コンビナートを見ながら
京都へと入っていきます。
この湾岸線を走るの好きです。
京都市内はどこもかしこも
インバウンドの影響は強く
日本人探すほうが難しいくらいです。
外人さんがめっちゃ並んでいたのは
有名ななお抹茶のお店。
一保堂さん。
並んでる並んでる
お抹茶が大人気で
抹茶が手に入りにくい状況が続いています。
役行者、お大師様所縁の
志明院へ到着しました。
650年に役行者が草創
829年に淳和天皇の御叡願により
弘法大師が復興させた古刹とされ
日本最古の不動明王顕現の神秘霊峯と言われます。
険しい山中に諸堂が点在していて
岩屋山全体が修験の山岳道場とされていたようです。
御山を歩きながら、その名残を感じました。
樹齢100年を超える天然記念物の石楠花が
美しいです。
春から初夏へ向かう京都ですが、
鴨川の最初の一滴を護るこの場所は
ひんやり涼しく
インバウンドの影響をほぼ受けていません。
【呼ばれないといけない場所】
という場所をいくつも聞きますが
ここは
【この場所の大切さを理解する人が
訪れる事ができる】
という具合にしたいですね。
いつもはもっと人が居ないが
今日は参拝者が多いとのこと。
私達が伺ったこの日は
地元の参拝者の方や
カメラを片手にいらした方々など
思い思いに過ごされる御姿を
拝見いたしました。
上に見えるのは
今は使われていない宿坊の跡。
司馬遼太郎や
たくさんの作家が逗留して
作品に影響を与えたと言われています。
境内は写真🉑です。
御住職の母様が参拝の仕方などを
教えて下さいました。
石楠花で有名な志明院ですが
椿や、たくさんの山野草が
見事に調和して咲いていました。
鴨川源流の一滴が集まり
大河となります。
こちらの椿は
《寒椿》
額からポトリと落ちる椿とは違い
花びらが一枚ずつ散る品種です。
いつまでも目を奪われる
美しさなのでした。
この門から先は撮影禁止。
お不動さまの場所での御法楽は
風が吹いてきて
どこからか花びらが舞い降りてきました。
般若心経が調和して
全く別次元の読経になります。
岩屋の滝が流れ落ちるその上に
飛竜権現を祀る立派な祠がありました。
滝は冷たく、清浄で
お数珠を浸しました。
ここは歌舞伎の演目でも有名な、
「鳴神」で、
鳴神上人が龍神を封じ込めた伝説の場所とされるようです。
窟内の護摩壇跡では
大きなエネルギーを感じました。
御法楽の時には
みんなの般若心経が渦を巻き始め
最初は縦回転だったのですが
最後は
円錐になって
先から吸い込まれていくようでした。
ここで不思議な体験をしました。
左腕に何かひんやりしたものが巻き付いてきて
離れません。
ひんやり気持ち良いので
そのままにしました。
これが後に繋がってくるのです。
ということは。
この場所で、辨財尊天を感じたのは
そういうことだったのかと。
大きなお目目が👀
見られてる💕見られてる
睡蓮鉢が幾つも並び
中にはメダカが気持ち良さげに泳いでいました。
生まれたてのベビメダカも!
メダカたちに餌やりしていた御住職さま。
峯龍先生、静果先生と
お話が弾んでおりました
何やら楽しみなご縁があるようです
お昼は予定していたお店を辞めて
志明院さんの駐車場内で営業されている
キッチンカーでいただくことに。
先生方は
基本的に、地産地消といいますか
《寺社の繁栄の為の一助》
を常に考えていらっしゃいます。
美味しいホットサンドイッチ
と
あったかいコーヒーを
頂きながらゆっくりランチタイム。
この流れが
後の流れを整えていく調整になるのです。
川魚が泳いでいました。
それでは次に向かいます。