岩渕の岩井観音堂より
アスファルト道路を歩きながら
美しく整えられた新興住宅地などを
抜けながら歩き進みます。
新興住宅地などは若いご家庭が多いからか?
はなやいだエネルギーを感じます。
小規模な会社や工場のあるエリアも隣接していて
やはり明るい期待のエネルギーを感じます。
希望や期待のエネルギーって
いいなぁ
そのうち、昔からの民家が並ぶエリアに。
これはこれで落ち着いた、地に根を張っているような
安定したエネルギーで心地いい
地図を見ながら
本日のコースを確認です。
時間があれば軍荼利神社にも行けると伺い、
沸き立ちます。
軍荼利明王が⛩️神社とは…!
なかなか聞かないですよね。
軍荼利明王といえば摩利支天。
摩利支天といえば。
岩井観音堂の次に訪れたのは
八耳堂。
八耳と聞いて浮かぶのは
やはり聖徳太子。
最近では社会の教科書から記述が消え
急速に痕跡を消されていっている偉人です。
何か不都合があるのでしょうか
と思っていたのですが
調べてみたら復活とな!
以下はこちらからの抜粋です。
聖徳太子は10人の話を同時に聞いて、すべて理解する驚きの能力を見せたといわれています。
ただし、その聞き分けた人数については諸説あるようです。
ひとつめは8人説。
幼いころから賢く、一度に8人の話を聞いて対応した。そのため厩戸豊聡八耳命(うまやとのとよとやつみみのみこと)という
(『上宮聖徳法王定説』(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)より意訳。9~10世紀ごろの伝記)
8人がいっせいに話をした。聖徳太子はひとつひとつを理解して的確に応じたので、みんな納得して問い直す人はいなかった。そのため厩戸豊聡八耳皇子という
(『上宮聖徳太子伝』(じょうぐうしょうとくたいしでんほけつき)より意訳。平安時代初期の伝記)
政治の会議の日、8人が一斉に声を出してそれぞれの主張を訴えた。聖徳太子はそれらを聞き分けて的確に答弁したため、再び問う人はいなかった。大臣はこれを称えて厩戸豊聡八耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)、または大法王皇太子などの名を献上しようとしたが、聖徳太子は辞退した
(『聖徳太子伝暦』(しょうとくたいしでんりゃく)より意訳。平安時代の伝記)
いずれの文献(現代語訳)でも、聖徳太子が8人の話を同時に聞いてそれらをすべて理解して的確に答えたということが記されています。
8人の話を聞き分けたため「八耳」という別名を与えられてもいたようです。
…厩戸。
母方は、元々四国香川です。
私も子供の頃に喘息の療養にお世話になりましたが、本家筋の屋号が"厩戸"なんですよ。
なんか急に思い出しました。