【秩父*曼荼羅小屋】岩井観音堂~円泉寺《飯能巡礼①》逆順廻りの龍神風 | 開運*招福Kyotoレシピ*いつも心に御神仏を*〜classy-angelique-style〜

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日々の暮らしの中にみつけた大切なkoto
幸せは自分の中に種を蒔き育み育てるmono
日々の豊かな暮らしを重ねるコツをお伝えしてまいります。
*真言宗密教僧阿闍梨
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*密教宿曜占星術
*四柱推命
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【神様*絵本 大祓祝詞】


今日は令和七年2月11日

楽しみに待っていた

岩井観音堂~円泉寺 飯能巡礼

の日です。


飯能駅に集合。

東飯能駅から飯能駅までは電車を乗り換えて僅か1分。

待ち合わせがうまく繋がらなくて

20分ほど待ち合わせに時間が掛かります。


歩いてみようかなキョロキョロ

東飯能駅から飯能駅までは徒歩10分。

半分迷子になるの前提でも大丈夫そう。


簡単なはずなのに

歩き出したら、ぐるぐる回転し始めて

さっぱり役に立ちませんでした。

笑い泣き


歩き出して1分。

あれ?Googleマップは左と出てるけど

交通看板は、右となってます。

これは、交通看板を信じよう!

戻ります。

戻って正解でした!


ついたのは北側。

反対側へ移動して、階段降りる前から

皆さんの声がします。

なんか声を聞くだけで無性に安心。

無事に合流出来ました!


今日はたくさんのメンバーさん!
一緒に歩くのは初めましての方も!
いろんな方と
いろんなお話ができるのが
楽しみです。

バスに乗って

最初の巡礼地。岩渕の岩井観音堂へ。


秩父曼荼羅小屋院主峯龍先生のブログ


こちらには

摩訶不思議な伝承があります。

実は浅草寺のご本尊は

元はこちらにいらした観音様。


このお話し。

何故だか、善光寺さまで

案内の方に

最初にお伺いしていたのです。


楽しみであります。

照れ



いきなりですが

足元不如意なり!

悪場ですが、これが楽しいのです

ラブ



前を歩くメンバー様の髪留め。

デザインが月星だったんですよ!

今日のテーマにぴったりじゃないですか

ラブ


細かなところまで

気を配ってらっしゃるのが素敵!

見習いたい

ラブ





綺麗な淵です。






埼玉県道195号線で飯能市と青梅市の境界付近に南下すると、岩井観音堂(飯能市岩渕746-1)がある。観音堂入口の看板に「浅草寺観音発祥の地」の文字が書かれている。また観音堂横に設置された説明板には「浅草観音生誕地」の文言も見える。

東京浅草の浅草寺の本尊・聖観音像は、ここ飯能市の岩井観音堂に安置されていたものであるという言い伝えがあり、この地は「浅草寺観音発祥の地」と言われている。岩井堂観音と浅草寺に伝えられる伝承はおおよそ次のようなものである。

継体天皇の時代、西暦507〜531頃の話。一人の旅の僧が当地に堂を起こし観音像を安置した。安閑天皇の時代、西暦531〜536年頃に大暴風雨が起こり堂が押し流され、尊像とともに崖下の激流に流され、行方不明になってしまった。それから100年の後の西暦628年頃、宮戸川(隅田川の古称)の浅草浦付近で漁をしていた桧熊浜成ヒノクマハマナリ竹成タケナリ兄弟の網に1寸8分(5.5cm)の大きさの金色に輝く仏像が掛かった。兄弟は土地の識者であった土師真ハジマ仲知ナカチに相談し、その薦めに従い堂を設け像を安置した。これが東京浅草の金竜山浅草寺の起こりと伝えられる。

この話を伝え聞いた郷人はこの仏像は岩井堂観音であると信じ、その返還を求めたがかなわなかった。

時代が変わって、1923(大正12)年の関東大震災の後、浅草寺より岩井堂へ本尊の観音像の分身として一体の聖観音立像を奉還したいとの申入れがあり、地元岩淵村をはじめ近隣町村全てを挙げて歓迎する中を入仏式が行われた。

*こちらのHPより抜粋させていただきました。🙇‍♀️



















大きな磐座の上に

建てられたお堂です。


峯龍先生をお導師に

みんなで御法楽です。


風が吹き始めます。

どんどん風は強くなり

渦を巻いていきます。


風は逆廻り。

降りてきます。

それから順周りに。

上がっていきました。

ラブ

これは円成。


タイミングよく

兄者がおりんを鳴らします。

笑い泣き













兄者が詳しく記事にしてくれています。




次へ向かい歩いていきます。


埼玉から東京。

またすぐに埼玉へと。


歩いていると越境が楽しい

照れ