京都からご依頼者様のお宅へ向かうため
駅に向かおうとするも…。
何故だか頭から離れないものが。
それを買いに京都伊勢丹の地下へ。
何が要るんだろう
お供物ってことだよね?
…何?何?あんまし時間は無いんですが。
……えっ!ここ?
あぁ。なるほど。稲荷寿司ってことですね?
!?違う?その隣?
柿の葉寿司ですか?
?違うかぁ。
そのまま横にスライド。
…え?ここ?これ?
……なんで???
嘘でしょ。違う違う。なんかわたしが間違ってる。
これはわたしの大好物。
そのまま、店を後にして上りエスカレーターに。
上がっていくと、めっちゃ後ろ髪引かれるやん…
くるりとまわって、一旦お手洗いに。
すると、何故だか出口を間違えて
でところは下りエスカレーターの前。
そのまま降りて買い求めましたよ。
考えてみたら。
わたしが好きなのは
御神仏だって好きに違いないって言うことですよね。
たくさんの御供物をご準備していただき
滞りなく発遣が済みました。
御宅に伺って初めて
わかる事、感じる事、見える事
が
ありますね。
長年大切にされてきた樹木は
土地や家や家人を護り育てる役目を
自身に課していたりします。
そしてそのことに大きな誇りと喜びを感じていたりします。
植えるのを躊躇する。
とか
なんか怖い。
と感じる必要はありませんが、
傾向として言えることはあると思います。
いわゆる霊木となりやすいのは
花が咲く。実がなる。神事仏事に使われる。
家の敷地内や側に昔からある大木。
大切にされてきた。
道ゆく人から
立派な木ですね。などお褒めの言葉をいただいたりする木。
などが言えると思います。
精霊がいる木。と、
木生神。木神。の木とは、また少し違ったりしますが。
いきなりきるのだけは…と思います。
修法の最中には雨がパラパラと降り出しましたが、
お供物は濡れても、経本などにはかかりません。
発遣と同時に雨は上がりました。
祓いや浄化の雨というよりは
まさに甘露でした。
21座の修法を始めてから
切り株から脇芽が出ていることを
お知らせくださっていましたが、風の無いタイミングで
さわさわと
気持ちよく葉を揺らいで
見せて下さいました。
不思議で、
そして、
なんとも言い難い有り難い光景でした。
めちゃくちゃ気合いを入れて
前座から21座まで祈願と供養を重ねましたが、
終わってからは、エラーが起こっていた事も
整い出したようで、
改めて供養の大切さを感じました。
貴重なご縁をいただきましたこと
感謝申し上げます。
翌日は奈良へ。
これまた、不思議なことばかりな一日となりましたが
中でも一番だったのは、母のこと。
しらん。わからん。変わってるなぁ。
いうとりますが、母が一番やわと
改めて思った1日となりました。
そして、母と一緒に巡った事も
やはり意味のある事だったのでした。
安倍晴明との繋がりなんか知らんかったし
それでは本日は既に3日目。
橿原神宮前を通過中。
もうすぐ吉野駅です。
また記事にしていきますね