ぴよさまから
ご質問をいただきました。
ぴよさん、ありがとうございます。
お返事を書いていたのですが、長くなりそうなので
こちらで記事にさせていただきます。
他にもきっと、悩まれている方いらっしゃるはず。
こんばんは。
比叡山の三面大黒天様の勤行儀に、
「又種々の珍菓美酒等をもって供養せば
将に甘露を雨降らさん」
とあるので、
お酒と小豆系のお菓子をお供えするようにしているのですが、夏の和菓子はパックに入った水ようかんやあんみつのたぐいが多く、御宝前でパックを開けるのが困難そうなため、いつも悩んでおります。
やはりパックを開けてお供えしないと
お供えにならないのでしょうか…。
奉献の一升瓶は封をしたままお供えされてますが、
あれも開封してお供えすべきものなのか、
といつも悩みます。
ご教示いただけましたら幸いです。
(お供えしたくなるようなおいしそうなものが
みんなこぼれそうなパック入りで…。)
たしかに悩みますよね。
私も高尾山や高幡不動尊さんで
度々、献酒させていただきますが、
栓は開けずにお供えしてくださっています。
高尾山は一月ほどお供えされてますので
開けたらすぐに傷んじゃいますからね。
で。
結論から先に言ってしまえば。
開ける必要はありません。
何故なら。
観想によって成り立つ世界なので、
実際のものがなくてもイメージできるなら
成立するのほどなのです。
例えば。
お酒や甘味を差し上げるとき。
蓋を開けなくても、お酒を差し上げたい、
甘味を差し上げたいと思ってさしあげるなら、
中身をしっかりイメージされて、
なんなら香りや味まで浮かんだりして、
差し上げていらっしゃるはず。
お酒の瓶やお菓子の容器そのものを差し上げるイメージでは
ないですよね。
御神仏はその気持ちを受け取られていらっしゃるので、
ちゃんと、差し上げたお気持ち、中身を受け取られています。
辨天様に卵をお供えしますが、
殻を割ってさしあげる人は多分いらっしゃらないかと。
巳さんにあげてるんだから、
殻ごと丸呑み!
と言われるかもしれませんが、
ではパックからだしますか?出しませんよね?
みなさま、6個パックとか12個パックとかで
お供えされてらっしゃいます。
観想だから。と、それを言っては、
そもそも供物はいるの?いらないんじゃないの?
ということになってきますが、
供物そのものをまるっとイメージすることはやはり難しく、
供物そのものよりも、供物を差し上げるその心を、
殊更によろけんで受け取ってくださるのだと思います。
そしてその供物はお下がりとなり、
どなたかの手に渡っていくのですから、
廻向ですね。
堂内でお供えされたものなどはお下がりとして
配られたり、必要な方に寄付されたりしたりします。
なので、開けなくても大丈夫なのです。
ただし。(ただしがつくのですよ…)
開けることによって、
匂いなどから五感が刺激されて、
より観想しやすくなり、
結果、一体感や充足感は、得られやすくなると思います。
なので、開けたいなら開けても良いけれど、
開けなくても大丈夫。
ということになります。
開けたらそれはきちんと持ち帰りましょう。
私が真言宗の僧侶であり、修験道の修行者としての
立場でのこれまでの学びや、師僧方、先達方の
お話から総合してのお話になりますことを、
ご理解いただきたいのですが、
真言密教は、そもそも観想の世界です。
普段から仏器に入れる梻の葉は、
観想によって、花、お香、供物へとへんじさせています。
修験道の修行中、山の中で行じることがあります。
そんな時、花や供物を持って上がれないので、
梻の葉を花や供物やお香に見立てで行じます。
そもそもそれらを入れる仏器さえ無かったりするのです。
そんな時は
壇(お供えなど次第で使う全てを載せる台)ごと観想します。
最近よく思うのですが
僧侶や行者の資質や、向き不向きは徳と業のバランス
と
この観想の差によるのでは無いかと思ったりしています。
祈願がよく通る方と通りにくい方とか。
いわゆる想像力の差…かも。
それを言えば、
次第の中で、閼伽水という水を使いますが、
閼伽雲海と成して…と、
そもそも観念や観想によって閼伽水を香水に作り出します。
そして、閼伽水というものも
特別な時間に特別な場所で汲んできた水を使う場合もあれば、
その汲んできた水に、
水道水を継ぎ足し継ぎ足しして使う場合もあります。
無辺遍満なのです。
1滴あれば、充分なのです。
また、そもそも水道水を使う場合も。
先日のこと。
開白、結願用に作られた壇があるのですが、
開白座で、閼伽香水まできて蓋を開けたら、
閼伽水がほぼ空っぽでした。
始める前に、
蓋を開けて確かめておかなかった自分のミスですが、
慌てて師僧に閼伽水が〜とお願いしたら、
『観想で大丈夫ですよ』
とおっしゃいながら、水を入れてくださいました。
そのときに。
『人によっては、閼伽水を変えず、◯◯を入れておいて、
継ぎ足しながら一生使う方もいらっしゃいます』と、
おっしゃっていました。
全ては観想によって成り立つ世界。
ということが少しわかっていただけると思います。
観想であることがわかった上で、それでも。
私は、
お供物はお酒でも甘味でも缶は開けませんが
牡丹餅などパックのものは開けたり。
お酒を家人が飲むタイミングで一杯注いだり
辨財尊天、大黒尊天の御縁日業では、
梅酒やお酒を一杯お供えします。
行じている最中に、甘い香りが部屋中、
いえ、家中に立ち込めることがあります。
開けてない瓶からたちあがることもありますし、
一杯を注いでいても、立ち上がらないこともあります。
立ち上がれば嬉しい気持ちが増します
はわわわわ〜と浮かれます。
近くに寄れた気がしたり
受け取って頂けたと実感できたりするからです。
一手間をかけること…心を寄せること…
こうしたら、御神仏がよろこんでくださるかしら。
と思う心。
そこに仏様と自分の隔てがなくなっていくのだと、
それを感じることができるのだと思っています。
ですから
結論としては、
開けたいと思ったとき、
できる状況なら開ければいいけど、
難しい状況なら、無理をせず、
開けてさしあげる気持ちで
いれば良い。
ということになりますでしょうか。
不思議な話ですが、
お供えされた開けてない缶コーヒーの
中身が一瞬で無くなる場合もあるのですよ…。
そもそもですが、
この世界は、『オーン』というたった一音の響きから、
生まれたという説もあるほどです。
観想って凄いです
自分の世界は自分が作っている。
ということにもつながっているのですね
三面大黒尊天を、はじめ天部の神様と言われる方々は
明王。菩薩。如来と違います。
人間により近く、人間的だと言われています。
ですから、
お供物を好む傾向が強いのでは無いかと。
大黒天さまは豆類
辨天様は卵
お稲荷さんはお揚げ
と一般的に、好物が言われています。
大黒尊天は、お豆やお餅が好物ですが、
食べすぎて胸焼けするので
大根をお供えすると喜ばれるそうですよ
さらに人間っぽいですよね
うちの大黒尊天さまはグルメで
チョコレートなども喜ばれますし
お稲荷様は唐揚げ、だし巻き卵がお好きです。
辨財尊天さまは金平糖のリクエストがあったり。