最近、五芒星逆巡りについての
記事を目にするようになりましたね。
ご自身が実行されて心配されていたり
信頼や尊敬する方のブログを信じていらしたり。
心配のあまり、でしょうか。
どなたかの記事を
まるっと鵜呑みにして
リブログしてるだけでは
また同じことが、この先にあるかもやしれません。
今の流れが正流とも限らず
あの時はそれこそが正道だと皆が信じたように。
ことの白黒はがらりと入れ替わるのが常ですから。
諸行無常ですね。
どなたかが伝える神様や仏様のおっしゃることは
どなたかの心が映し出す世界や価値観です。
神様と仏様も
信じる方の分だけいらっしゃるのです。
何故なら
神様や仏様が姿を現すのは
その方の求めに応じて現れる応身のお姿だからです。
私達の求めに応じて
法身から応身のお姿に変じて
現れるのです。
あなたの御神仏はなんとおっしゃっておられますか?
尋ねてみられましたか?
みなさん、お一人お一人に
仏様はいらっしゃるのです。
どなたかのつたえる
どなたかの神様仏様のおっしゃることを
信じておっしゃるままに実行しなくていいのです。
何故駄目なのか?
本当に駄目なのか?
しっかり考えて、かつ、考察と検証、しましたか?
そのソースはただしいですか?
こちらのリブログ先の記事に
五芒星逆巡りについて
ユダヤの寓話のお話の後半に書いてありますので
気になる方がいらしたら
読んでみてください。
けれど、まるっと鵜呑みにしないで下さいね。
こういう考え方や
こういう理論もある。という
ご自身の考察の一つのソースにしてくださいね。
何度もお伝えしますが
自分の世界は自分が作るのです。
いま、自分の周りにある世界は
自分の心や行動が結果となって現れている世界です。
もし、今のあなたに
誰かを批判したり、
誰かの考え方を訂正したい、
間違いを認めさせたい。
そんな気持ちがあるのなら、
次は、あなたが、
誰かから批判されたり
誰かから、考え方を訂正されたり、
間違いを認めさせられたり
する番が巡ってきます。
それが、この世界の理だからです。
願えば叶う。
のは、
プラスの良い面や、良いこと、ばかりではありません。
マイナスの面も、同じように叶っていきます。
間違いを正したい
誤りを訂正してほしいと
強く願う気持ちは
自分の信じる正義が、
告発という形に姿を変えて現れたものですが
この根本にあるのは、実は[怒り]なんです。
怒りって色んな感情の後ろに隠れているので
自分でも気づきにくいんです。
悲しみも
寂しさも
残念な気持ちも
みんな怒りが姿を変えたもの。
どうしてわかってくれないの?
何故気付いてくれないの?
という気持ちは
分かるべきでしょう。
気付くべきでしょう。
という怒りの気持ちから、起こってきます。
しかし、怒りに身を任せてはいけません。
人はどうすることもできませんから。
人の考えや行動や心を変えたいという思いは
強い執着に変わるのです。
自分の癖や気持ちさえ、ままならないのに
人の気持ちなんて、変えようがありません。
ですから、
あの時に、どなたかの五芒星について
まるっと信じたように
今また、どなたかの言葉をまるっと信じて
しまうまえに。
本質について見極める。ための時間を
かけてみるのはいかがでしょう。
五芒星逆巡りについて
こんな考え方や見方もある。
そんな気持ちで、考察の一つに加えてみて下さい。
五芒星巡りの
逆廻り。正巡りについての是非については、
とりあえず棚上げしておくとして。
その考察の元になるものがあったんだろうと
思います。
無意識下にあった、その知識に
無意識下で、偏った考察が
上書きされていったのではないでしょうか。
"こうだったら。"
"もし、こうなら。"
そんな気持ちが無意識下で働くことは
みなさん誰もが経験することですから。
真言密教の僧侶としては、逆廻り。正巡りときいて
思い当たるのは。
【結界】や【護身法】や【加持】
の作法で行うやり方です。
逆(反時計回り)、順(時計回り)と
行うものです。
なんとなく共通の認識やイメージとして、
逆廻りには
《開放》や《解除》の役割が込められているように
感じますよね。
たしかに、そんな意味が込められている場合もあります。
ただし。
実は逆廻りの意味にこだわる必要はありません。
何故なら
同じ真言宗でも、派や次第書によって
逆(反時計回り)、順(時計回り)の順番が変わったり
その意味が
違っている場合も多くみられるからです。
さらには
場所や状況に応じて
とっても流動的で、臨機応変なんですよ。
そして、そもそも
逆廻りには、祓うという意味があります。
祓うのは、全てを祓う意味もあれば、
悪いものだけを祓う。
という意味もあるわけで、
《解除》だけの意味ではないのです。
ましてや
【結界】や【護身法】や【加持】にいたっては、
逆(反時計回り)、順(時計回り)の
両方を行って意味のあるものとなります。
さらにさらには、
印を結び、真言を口に唱え、観文を喜して
ようやく完成するものであり、
どれひとつ欠けても
不完全で、意味を為しません。
ですから、
自分が五芒星逆巡りをしてしまって
後悔している。だから、訂正しなきゃ!
という心配があるなら、
そんな心配は無用ですよ
その結界が張られたなら
張られた印、使った真言、使った観文を
知らなくては、解きようがありません。
大前提として。
伝授を受けているか。資格を有しているか。
が常に問われるのです。
仮に得度を受けていた自分と
今の正式な得度を受けた自分とでは
扱える質と量の両方が違うことがわかるようになりました。
以前は違いさえ分からなかったのです。
アクセスする場所も深度も
全てが違います。
そんなものなのです。
突然ですが。
マニフェストという海外ドラマのシリーズをご存知ですか?
前にとても流行ったドラマらしく
Netflix史上最高の視聴率だったそうです。
最近知って見始めたのですが
このお話の大切な軸となるのが
聖書の中の一節なのです。
”召された者には、万事が益になるよう働く”
「All Things Walk Together For Good (万事はいい方に働く)」
この言葉は
聖書にあるローマ信徒へ向けた手紙第8章28節の言葉だということ。
です。
最近やたらと行き当たるのです。
シリーズ見てるからかな
より良くなるようにと願っての行動は
間違いなら修正が入り
必ず善い結果となるように働きます。
因果応報だからです。
それでも。
心配で仕方がないなら。
ご相談の出来る寺社でお尋ねしてみましょう。
きっと心配を解いてくださるはず。