日本語には
素晴らしい言葉があります。
何かがあったときに
『全ては私の不徳の致すところです』
と自らの非を認め、全てを受け入れる言葉です。
例えば…
部下がやらかしたことでも。
子供がやらかした事でも。
家族がやらかした事であっても。
もちろん自分がやらかした事であっても。
全ては自分の至らなさ、不徳ゆえに招いた結果。
徳<不徳
のバランスになってるという証拠
徳が足りないばかりに
こんな状況に陥るのです。
これが
徳>不徳
のバランスだったならば!!
そもそもこんな状況には陥らないのです。
このバランスを変えるためには
自分が変わるしかない。
そうそう。
不徳の、徳って言葉は日本在来種。
日本発なんですって。
うまく行かない時は、
"私の不徳の致すところです。申し訳ございませんでした"
と受け止める。
上手くいったときは、
"神仏のご加護、ご先祖さま、まわりのみんなのお陰様です"
と感謝して過ごしていけたら、
不徳の積み上げも少しは改善していけるように思います。
たぶん、
これが一番業を積まない方法に近いんだと思います。
業の積み上げから、うまくいかない。
↓ ↑
あいつのせいだ ↑
↓ ↑
くっそ〜いつかやり返してやる
→↑
自分の非を認めず、誰かのせいにしている限り
業を積む自動システムから外れる事ができませんから。
一度でも
ムカっ💢とせずに、心穏やかに
修羅場の中にあっても
一歩引いて俯瞰してみる。
あー…こんなになっちゃってるのは
わたくしの不徳の致すところだなぁ。
申し訳ないなぁ。
みんな、ごめんね。
でもって、こんな風に著してくれてありがとう
私の徳を積むために
こんなステージ用意してくれてありがとう。
嫌なこと言ってくれてありがとう。
嫌なとこ見せてくれてありがとう。
わたし、頑張るね!
ありがとう。
本当にありがとう。
と感謝に変換することで
不徳を積まずに徳を積む道へと変えれるんです。
この段階では、徳は積めてません。
さらなる不徳を積み上げずに済んだだけ。
迷惑かけた方に謝る。
迷惑かけた以上に、良い行いをしてかえす。
誰かのためにと頑張る。
徳を積むためにすることは
他人のために感謝で奉仕すること。
これが一番。
朝夕毎日神棚の前で
世のため人のために
尽くさしめ給えと畏畏み白しているのですから。
今の自分があるのは、
過去世の自分や、ご先祖さま方が積んでくださった
徳のおかげ。
使い切らず、少しでも徳分が上回るように、
これからも精進したいと思います。
そしてもう一つ。
不思議な事がありました。
もう一回続きます。