日本人は無信仰者ではありません。
むしろ逆ではないでしょうか。
神棚がなくても。
御守りを一つも持って無い人は
いないのでは無いでしょう。
神仏に手を合わせたことが一度もない人もいないかも。
御神籤は神様からいただくメッセージです。
御神籤を引いたことがない人もいないと思います。
特定の宗教や、
一神教だけに極端に傾倒するのではなく、
八百万の神仏と、常に一緒に暮らしているので、
特にそれを
意識することがないだけだと思います。
"おはよう"から"おやすみ"まで、
寿ぎの言葉の循環の中に暮らしています。
『おはよう』も『行ってきます』も『いってらっしゃい』も
『お帰りなさい』も『お休みなさい』も
挨拶は全てが寿ぎの言葉です。
無事を願う祈りと感謝の言葉の上に
成り立っている言葉です。
風や雲や移ろいゆく自然の中にも
神仏の姿をみています。
田んぼの中に立っている案山子は
神様です。
春になって、山から降りて来られた神様が
稲刈りまでの田を守るために
入られる依代なのです。
山自体も御神体です。
日本の原宗教は、山岳信仰から始まっています。
空にも風にも
目に映る世界の全ての中に神仏を見て暮らしています。
トイレにはトイレの神様がいて
お米の一粒一粒にも7人の神様がいます。
お結びは、とんでもないパワーの塊なのです。
無駄なく使う。有り難く使う。
そんな風ですから
あまりに暮らしの中に当たり前にありすぎて
意識していないだけなのです。
そして、この無意識下の宗教観こそが
素晴らしいのだと思います。
日本人の気質の良さは
この宗教観に支えられています。
誰がみていなくてもお天道様がみている。
そのお天道さまを、
天照大御神として戴く民族なのです。
そんな国に生きる私たちには
差別はありません。あるのは区別です。
天照大御神は一般的には女性神であり
最高神でありながら田植えという労働をしています。
労働は、他宗のように"罪による罰"ではなく
働けることに幸せや喜びをみています。
七五三。
いろいろな資料では約8割近く
七五三のお祝いをしています。
神仏にこの歳まで成長出来たことに報告して感謝し、
この先も健康と幸せをお願いします。
お祭り。
いまでこそなかなか難しいですが
地域には必ず寺社があり、普段は足を向けなくても
お祭りには行くでしょう。
初詣の人出はその一日で、
世界の名だたる宗教国が
一年間で参拝される数をゆうに超えるのをご存知でしょうか。
日本人の暮らしには、四季には、
いつも八百万の神仏と共にあります。
このような宗教観は
世界に類を見ないのです。
日本人は決して無神論者ではありません。
無宗教者でもありません。
むしろ、
世界で1番、神仏と共にある国だと思っています。
花屋さんはもちろん、スーパーにだって必ず
樒や榊が売っています。
我が家も神棚用の樒を一日と十五日に交換するために
買い求めますが、
買えない時もあるんです。
買えない時。
『あぁ。神棚があるお宅がご近所にあるんだなぁ』と
とても嬉しくなります。
仏花が種類も豊富に、常におかれていますよね
お盆などの前には花の値段が急騰します。
急騰しても買うから、当たり前に値上がりするのです。
そして
ご先祖さまが喜ぶならと買い求めるのです。

『あなたには特別に信仰している神様がいますか?』
と
聞かれれば
ほとんどの方が、『いいえ』と答えるでしょう。
けれども
『あなたは好きな神様や仏様がいますか?』
と聞かれれば
はいと答えると思います。
または、
一年に一度は寺社にいきますか?
と聞かれれば
はいと答えると思います。
データなんか意味はありません。
質問の仕方、聞き方一つです。
そして、日本人は
政治、宗教、野球の話は
しないほうがいいと言われて育った人も多いのでは?
みんなと仲良くうまくやっていく秘訣だと
教えられ育ちました。
そして。
他の宗教の神を否定しないのも
日本人の素晴らしい宗教観の表れだと思います。
何故なら、八百万もの神の中には、その神様だって
入ってるかもしれないなぁ。なんて
考えているからではないでしょうか。
私たちは、常に八百万の神仏と共にある。
あまりに
当たり前すぎて
意識すらしていないだけです。
敬い方を知らないだけ。
記憶の中に埋もれただけです。
それは、知る縁をいただいた者が正しく行えば大丈夫。
そう考えています。
誰の命に対しても
どんな命に対しても
深い畏敬をもって頭を垂れるのです。
実れば垂れる稲穂のように。