天下を盗った気になっているだけ。
子供達は利口です。
情報源は無限にあります。
嘘をすりこみたいなら
調べ学習推奨してたら、あかんやろ。

中学生にもなると
自分で情報にアクセスするようになります。
一つの情報源だけにアクセスして鵜呑みにするような
ことはありません。
いくつかの情報源にアクセスして
偏りを見極める力を持っています。
携帯の普及と同時に
情報の使い方、真偽の見極め方、なども
同時に学校で外部講師を招き学ぶ機会があるからです。
年度の初め。
社会の教科書が配られたらする事は
記述のチェックです。
あの辺りの年代の記述をチェックし
どの立ち位置かを見極めます。
次に担当教諭がどちら派なのかを探ります。
それによって自分の立ち位置を確認するわけです。
正答を書いても点にはならないからです。
また、敢えて異議を唱える生徒もいません。
異議を唱えたところで状況は変わらないからです。
使う教科書によって回答が変わり
担当教諭の派によって回答を変えます。
でも、様々な情報に自在にアクセスする子供達は
正答が回答と違う事を理解して
使い分けているのです。
担当教諭によっては
あの辺り事を深掘りして何コマも無駄に費やし
わざわざ4コマ漫画にして無地の吹き出しに💭
自虐的なセリフを書かせたり、
子供達同士でアテレコさせたりと
自己満足なのか?被虐趣味なのか?
子供達もうんざりするようなしつこさで
自虐意識を植えつけようとするようですが
子供達はスルーする技術を学んでいます。
しつこくしようとすればするほど
意識してなかった子供達まで不審を抱き
調べてみるようになるわけです。
また、担当教諭が変われば正答が変わります。
教科書と違う事を伝えようとすると
その辺りはざっくりと飛ばし気味に進め
オリジナル資料を使い授業をします。
あとは、自分たちで調べさせるのです。
昨年は、またまた韓流ブームだったのか
一部の女子で韓流音楽が流行っていたそうです。
でも、服を真似たり、踊りを真似ていたはずの
女子たちですら、体育の授業で、ボール当て?自己申告制のゲームの説明を受けたとき、
"自己申告制でコートを出るなんて、あの国じゃ成立しないね"
と笑っていたそうです。
音楽が好きでも、それはそれ。これはこれ。
と、区別しているのです。
大人がムキになって
しつこくやればやるほど
子供達は、その裏にある思惑を感じとって
疑念を持ちます。
そして調べます。
大人が思うほど
子供達は知らないわけではありません。
知らないふりをしているだけです。
気付いていないのはおとなだけです。
もう教科書で洗脳出来る時代ではありません。