2月24日木曜日。
今日も独りぼっちの居間でいつもの事をした。
馴染みのある席に座り、写真を撮り、珈琲を飲む。
時には玩具を添えるし、時には違う席もあるし、時には珈琲でない時もあった。
行き先がいつも解らないけれど、
今日は、
こちら。⬆️
一身上の都合により画の解説なんてしないけれど、
よくよく見ると、、今しがた飲んだ珈琲を、
なし汁ブシャーなみに吐き出し、狂喜乱舞したくなってしまったではないか!
これも何かの縁。偶然の産物とか言い、
本当にそうなのだもと一言いれ、
せっかくだから簡潔に筆紙に尽くす。
飾りたてるやつと飾らないやつ。
飾りたいやつと飾りたくないやつ。
選ぶやつと選ばれたやつ。
選ばれたやつと選ばれなかったやつ。
背負ったやつと背負われたやつ。
強い者の弱い者。長い者と短い者。
才能がある者とそうでない者。
出来る事と出来ない事。
そして男と女。
見方によっては色々あると思うけれど、
どちらも強くて美しくて儚いことは確かである。
兎に角ゴールが近づく時はちょっぴり寂しいし痛い。
そしてその後は空虚感が漂うことも否めない。
私の玩具。小さな玩具。裸の玩具(子ども)
その子達の骨格の成長、筋肉の発達、皮膚の日焼けなどを余り観察出来る事が出来なかったけれど、
私自身もなんだかんだと、悲しかったし、逃げたかったけれど裸のまんまだった気がする。
とりあえず話は戻り、私のいつもの事は、
ホップステップジャンプのあれと同じような事だ。
しかしこれまで一度足りとも、
ジャンプする事が出来なかったのは、諦めが先立っていたからしかない。
その訳は言わずと知れず。そして一言女の業しかない。
とりあえず、
いつもの事をしてきた甲斐あって、
私の胸の中にも漸く花開く事が増えた模様。
その実太陽ご来光前の空模様だったけれど、
これまでとは違う新種の種が蒔かれていた事に気がつく。
花の咲き方や散り方や多様で、
咲いてる時間も量もその色も皆色々である。
束の間のなんちゃらと似ていてそれはいつも掴み所がない。
しかしその花と寄り添い、眺めている間と言うのは、
胸の頭の中では線香花火のような火花が散っている。
線香花火の火玉が落ちるその時まで、
私はただうんこ座りして、その様な色した私の珈琲をいつまでも飲み続けるのであろうか?と、いつからか聞こえていた。
完
(書く女シリーズ)
(フチ子シリーズ)
(マッチョシリーズ)
(珈琲女シリーズ)