8月29日日曜日。
対象が何であれ、難であれだが、
珈琲がない朝なんて先ず考えられない。
水槽がないのに金魚が欲しいと駄々を捏ね、
その場でうずくまり、親を困らせる子供のように、
私は一人ぶすっとなって仕舞う。
珈琲は昨日の朝に切らしていた。
最後の一杯だからゆっくり味わって飲もうと、
黄色のマイボトルに入れ1日中それを持ち歩いた。
微かな疲労感と達成感を感じながら飲む珈琲は、
時間と場所を問わずやっぱりいつでも美味しかったし、癖になる。
癖がない切れ味とはまさに絶世の美女、クレオパトラ如くで、
あらゆる毒物を体内に流しこもうと美への追及は果てしがない。
飢え、渇いた渇望は一体いつ潤うのかと甚だ疑問だが、とりあえず三日で飽きる。
だから美人より可愛いものが、女は好きといいながら、心の中では嫉妬と憧れが渦巻いている。
とりあえずつけ加えるならばキラキラした宝石みたいなものも好き。
そんな事実を知っていたにも関わらず、
私には買えるゆとりがちっともなかった。
それが我が宿痾、定めだとしたら、
藁人形をネットで買い、木に吊し上げ、
呪いまでかけて、最後は土に埋めて供養までしてやろうと思うもネットは何だか胡散臭くやめ、
そんな事に体力つかうゆとりはなかった。
したら、自分の目と口で見定めた珈琲がせめてでも、欲しくはないか?ダメなことか?
珈琲一杯買いに行くのも女の私にとっては事件である。
着の身着のままありのままの姿で、草履だけはいて、
直ぐそこの自販機に半ば物乞いさんの様な姿で、
駆け込み、
チャリ銭投げれば済むってもんじゃない。
立派でないけれど、私にだって男の人同様に、
心臓の一番近い所にぶら下げている自然なものがある。
しかも2つも。
そんな事を思いながらも、やっぱり珈琲が欲しい。
今ではすっかり重たくなって仕舞った腰をあげ、
私は漸く家を出る決心をする。
玄関を開けたら太陽が眩しく、湿度も高かった。
私の肉体のあらゆる所に滞こっていた毒が一気に吹き出した気がした。
その次の瞬間には甘くて酸っぱい青春の香りが鼻につく。
やばいやつだ。
私は恋をしている。
手に持っていた特大袋のゴミのことも忘れ、
私は一目も憚らず、ダッシュした。
その数十秒後、