5月9日日曜日
朝、いつものように珈琲をたいた。
これが自由なのか不自由なのか未だに判断がつかないと想いながら、適当に玩具を選び写真を撮った。
パシャリ。
いつもの音。何かを真っ二つに割った音。
オセロの白と黒がひっくり返った時のような音。
解りやすい音。だと夢幻泡影に言葉が続いた。
急速冷凍された鮪のように、
部屋の中と私の気持ちに静けさと硬直化が一気に増した気がするも、
そんなことは起きてなく、
聞き慣れたこの音が今日も耳に入ってくると、
何故だか特別な気持ちが沸き、
目に見えない何かに、
私自身が従がわなければならない気になって仕舞うのである。
目の前には誰もいない。背後にも誰もいない。
幻聴や幻覚もない。
正真正銘の独りぼっち。
当然独りぼっちを自慢し、これ見よがしする必要もない。
沈鬱で白けた空気が漂うも、
何故か花畑にいるような気持ちになるのだ。
それでも、来日も来日も同じことをやり続けていると、
いつの頃からかそうしなければならない、そうあらねばと考え始めるようだ。
良いのか悪いのか、○なのか❌なのか、
自由なのか不自由なのか、ご苦労様なのか働けなのか、
いつも答えがだせないまま一人珈琲を飲んでいる。
とりあえずこの玩具は、
コップのフチに舞い降りた孤独な天使なのだけれど、いくらネット検索しても、何のフチ子なのか解らず。
直ぐにいなくなって仕舞うフチ子とは違って、
この子は私の側にずっと寄り添ってくれたことに気がつく。
完
(書く女シリーズ)
(フチ子シリーズ)