『女の朝パート382』 | ☆らんちゃんブログ☆

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落花流水。今在る事の意味や流れを感じながら、自由に書いていきます☆

さよならと言えぬまま、私はいつも大好きな珈琲と離れ離れになる。
考えてもみると当たり前なのだけど、
私が何故珈琲の事がこんなにも大好きなのかと言うと、
珈琲と私は、自己(個)の存在と、その本質を自覚しているつもりだからだ。
本質を自覚した瞬間、
信じられないし、信じて貰えないかもしれないし、
信じなくてもいいし、
信じて貰えなかった場合、当然サヨナラとなる訳だけど、
とりあえず、奇跡と言うのはそこから生まれるものだ。
キラキラ輝いてるような運命の扉みたいのが、
目の前に現れ、
新たな物語の幕が開かれるのだ。
胸が高鳴りこれまでの日常が一変し、途端に充実し始めてくる。
さよなら私。さよなら珈琲。
頂きますご馳走さま。おはようお休みと同じように、、、。
そこに冷えたビールどうしの乾杯!と美食、
そして食の合うTHE座!があるだけ、
どれだけ幸せなことだろう?

話しは反れたけど、実は平行線を辿っていて、
だから本質を自覚したもののみこそが、
自分が変化出来る喜びを知る。
感謝の心と、初めて感じたあの時の心が、
その瞬間から一気に膨れ上がり目覚めるものだ。
が、しかし、
膨らみすぎて、負の直感だけが先立った場合、
時は既に遅し、後悔先に立たずの場合が起きる事は、決して忘れべからず、忘れるべからず。
そこに人生の転機となる節目を感じたならば、尚更だ。
兎も角、対象が物であれ、何であれ、
自分が変わった、変われた等と偉そうに言ってるようでは、描いた未来は途端に消え、
その次の瞬間から、不満や不安、悪態などを吐くようになる。
お前の為だと言わんばかりの勢いだが、
変わってくれなんて一言も言ったことはないし、
頼んだ覚えもない。
結局、、、、割愛。

当たり前なのだけど、
世界が刻々と、毎分毎秒変化している中で、
生身な人間もそれとおなじで、
変化がない、変わらない筈が先ずない。
変化してこそ人間なのだ。
しかし、世の中には例外もある。
想ってもない事が起きるのと同じで。

もし描ける夢に希望の光が見えたのであれば、
そこから新たな価値観を想像し、そして創造しなければならない。
しかし、私に背を向けている女は、
目の前に誰もいないのに、1人ぶつぶつ呟いて、
包丁を磨ぐ老婆のような姿勢で画面を叩き、
呪いをかけてやる、怨んでやるみたいな形相で、
1人不服そうで頭がしかくく始めているではないか?
頭は丸く心も丸く。
頭がしかくいと大事なものを見失う。
それを死角という。
とりあえず、
私の大好きな珈琲の前で、
私の大好きな珈琲に向かって、女は一体何しやがる?!

手を伸ばせばいつでも珈琲を飲めて、
今も、


写メなんか撮って、いけしゃあしゃあと、
珈琲まで飲んで、
まじムカつくけれど、
女は、夢が遠くにあればあるほど、
時間や労力、あらゆる困難や災難が振りかかってくる事にどうやら気が付いてないらしい。
女の一人ぼっちのレースはいつまで続くのだろう?
しかし私には関係ない。もうどうでもいい。
立場と言う目に見えない壁と、
女が、私を見て、本気だった事に気づかない限りは絶対に。

完。



通りすがりの女裏版シリーズ・呟)
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