私は珈琲がある場所なら何処にでも現れる、
ただの通りすがりの女、その名も珈琲女よ。
おはよー。
通りすがりの女シリーズ)
しかし名前は気に入らんし私の事はどうでもいい。
それよりか、
私にはいつどんな時でも大好きで大切な珈琲が目の前にあり、
全国津々浦々と言ったら大袈裟で偉そうだけれど、
いつでも、調達が、可能だった。
ないと困ると思っていた珈琲でもあったけれど、
好かれようとか、嫌われまいとかもなく、
しがみつく事も一切しなかったし、出来なかった訳だけれど、
私の大好きな珈琲は、いつどんな時でも、
こんな私を受け入れてくれ、迎え入れてくれたのは確かな事なのかもしれない。
でなければ、私はきっと、ずっと1人ぼっちだったはずだし、
この身を焦がしてまでも、形振り構わず、、割愛。
それなのに、最近の私はどうにかしちゃったのかしら。。
この居間にいる女の事を、
何故だか特別な、好ましい感じとして、受け入れられるようになった気がする。
女がいるこの居間には、些細な事、
私自身が心の何処かでずっと渇望していた事、欠けていた事、
安心感みたいな、大丈夫だよ、側にいるからねと、
背中を押してくれるような大きくて暖かい手のようなものがある気がするからだ。
あれ!?
女は今、コップのふち子を支えながら珈琲の写メを撮った。
6月25日木曜日。窓の外は雨。
いつものように食後の珈琲を飲もうとし、
マグカップに珈琲を注いだ後、
いつものようにふち子をコップのふちに置いてから写メを撮ろうとした瞬間だっだ。
いつもの幻聴なのかと気にはしなかったが、
何処からともなく聞こえる女の声のせいで、
手元がぶれ、ふち子が中々コップのふちに収まってはくれない。
もうマグカップの中にふち子が落ちるのは見たくはない、
自分が酷くダメな事をしている気持ちにもなりたくない。
行き場のない気持ちや、些細な事を聞いてくれる人もこの居間にはいないのだから。
それよりか早く食後の珈琲を飲みたい。
それにまだ洗濯物、掃除機、風呂掃除、床掃除も残っているし、ゆっくり書いてるゆとりもないし、今日はまた特別に忙しい。
しかも淹れたては今しかなく、
珈琲の高貴な香りに包まれながら、
朝から一心同体と言わんばかりにとろとろと溶け合いたいじゃないか。
だから今日はふち子を支えたまま写メを撮り、
聞こえた女の声をいつものように記録し、
大好きな珈琲を飲み始める事にする。
など参照通りすがりの女シリーズ)
ミックスバージョン。
完