その女は、
昭和から平成を跨ぎ時代が令和になった頃、
スタバ女と言う唯一無二の称号を得る迄に至った。
誰の許可をえたのかは不明で、そのような称号もその主旨も謎だけど、
赤ちゃんから子供、子供から少女、そして少女から中年になった女の小さな胸の前では自尊心と言うメダルが儚さを醸し出しながらも誇らしげに揺れているのだった。
きっと順調満帆ではなかったからこそ得られた称号なのかもしれない。
スタバ女と言う名誉を果たすべく、
女はいつの頃からか、1人どうでも良い劇場を、
スタバと言う箱の中で繰り広げるようになった。
女はそれが自然だと思ったし、
ワタシだからこそやっても良い事かもしれないと思ったのだった。
椅子に腰を下ろし、
買ってきたものの写メを撮りお終えた途端に、
女の心は、いつもどうでも良い感情に支配された。
謎だった。
幸か不幸か?
災い転じて福となすか?
女はいつも自分に問いかけていた。
しかし自分の中で芽生えたその感情に嘘はつけないし、
むしろ陽の当たる場所で花を咲かせてやりたいとも想い始めたのだった。
誰に頼まれてもいないしお金が発生している訳でもないのに。。
それよりも、
誰も傷つかないし不快にもなる誰かもいない事を知ると、
大丈夫であることを知り、自信が沸いた。
むしろ日に日に快感さえ覚え始めていく事となった。
そうだった。
このブログは自分から見ようとしなければ見ないで済む話。
しかし女の中には一つの理念があり、一応、今のところそれは守っているつもりでいた。
ただ、迷いと言う種、浅はかさと言う種、無知の種等の存在が新たに加わった事を知ると女の胸は、
時として苦しくなった。
しかしそんな時は、窓の外をみたり、ぼけっとする事で自分の蒔いた苦しみから逃げる術すらも覚えたのだった。
そんな女ももう中年の後期。
世間的には若くはない。
若い時のように縦横無尽にはしゃぐことも出来ないし、それを許してくれたり後押ししてくれる大人も周りにはいない。
ただ、縦横無尽にはしゃぐ事もしなかったし、
それを許してくれる大人の存在すらいないのは当然で、後押ししてくれる大人なんてとんでもない。
兎に角スタバ女の称号を得た女。
その称号を引き継ぐ者が今朝現れた。
女のスマフォに送られてきたスタバのフラペチーノ。
トールサイズのダークチョコモカチップフラペチーノ。
チョコチップとホイップ追加。
1人でスタバの店内に座り、
フラペチーノ飲みながら友達を待つ女の息子が、
その称号を引き継ごうとしているのかもしれない。
女の幸せは、
スタバの中にいなくてもあったのだ。
完