箱の外は今日も晴れ。
女はアイス珈琲を受け取り席につくと、
自分の胸に灯がともるのを感じた。
自宅でいれる珈琲も好きだけど、喫茶店で出される珈琲の方がやっぱり好き。
何故ならば、
家庭人でも職場人でも何者でもないただの人間としての存在が許される気がするからだ。
女のどうでも良い呟きは既に始まっているようだ。
冷たい液体が喉を通過する度に、
小さな胸に灯された火が大きく燃え上がり炎の化す。
頑なに閉じてきた心の凝りがそれによって炙り出されて仕舞うかのよう。
そうなると、時により、
この女は誰かをたじろがせるほど積極的になったり、、
とりあえず半ば放心状態になると、
女の鼓膜に様々な音が飛び込んでくるようだ。
無邪気な不協和音が快感になり拍車がかかってくる。
しかし、
女は自分の愚かさや不足を目の当たりにする。
すると自分を責め苛むのだ。
そしてどうしようもないくらい寂しくなる。
女は目の前のコーヒーを眺める。
始まりの珈琲とは、多分、誰にとっても同じだろう。
幸福で、
おめでたいほどの予感ばかりが溢れてきて、
自分を喜ばせる。
女の口元が緩む。
気味が悪い。
どうでも良く何の意味もなく、
求められてもいないのに一人で繰り返し呟いてる私。
冷静に考えれば、
珈琲を飲む行為事態何も変わらないし、
正直何も面白くない。
なのに何故だろう?
子供のように無邪気になれる自分がいるのだ。
これはきっと大人の遊びなんだ。
完