死の決断を迫られた時、
ひとは生きる。
結局、この手に残らないものばかりで、
全て儚い。
自分さえも、信用ならない。
罪から生まれて、罪に塗れて、罪に集られ死ぬ。
そう人生のシナリオが決まっていたら、憐れである。
自分の罪観を問う。
私は果たして、何処まで復活できるのだろう。
色んなひとの手を借りて、お世話になりながらも
生きてゆくのは自分自身である。
これから乗り越えるべき山や谷の道程を見ると、孤独に苛まれる。
私は決して、物事を深く考える方ではない。
いつも楽観的で、自ら穴に嵌る阿呆である。
要領を得ず、自分の気持ちに素直である。
善悪を無視し、直ぐに罪を行おうとする。
楽しければよいのである。
自分の中に在る矛盾性とは、ずっと闘っている。
頭と心とは、別の生き物である事を感じる。
自分で解決するのは、とても難しい。
それは自分が矛盾しているからだ。
結局は、自己中心なのである。
愛について、様々な問題がある。
この為に、何度倒れて、何度死に、何度息を吹き返しながら、生きてきただろう。
何度出会い、傷ついたかわからない。どの程度を愛と呼ぶのだろう。永遠に続かなかった愛は、幻である。
自分が造った空想の庭で、眼を瞑ったまま、あまりにも多くのものを失いながら、箒を振り回し遊んできた。
自分の人生を賭す程、愛したかったのか。全てが、嘘で、儚かった。夢をみていたようだ。
今こそ、自己を否定し、感謝しよう。
これから、逆に路を辿る。
今は、孤独と憂鬱としんどさしかない。
しかし人生は、思い通りに成ると信じる。
大切なのは、永遠なのか永遠ではないのか。
それで、自由になれるかどうかが決まる。