『放尿』感想文 | hinata BLOG

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お花や詩ナド

あたしは、いつからか『深く考える』という事をしなくなった。




学ばず、尊ばず、感謝の念すら忘れ、ただ日々をとにかく過ごして、自分勝手に哀れんでた。




貧乏くじひかされてるなんては思わない。自分の人生に華を持たせたいと思ってんのは、誰だって一緒。






“委ねる”という言葉を


無理してないと思い、無理する時期を過ごした後、友人から貰った。






けれど自分の責任で人生は成り、


委ねる事でうまくいっているようにみえても、そこには自分の責任が果たされてこそだと実感するし、


何もしないなら実績が得られないというのは当たり前の話です。






自分でアクションを起こしてこそのマイライフ・マイステージでは在るものの






ブレスレットをカチャ②言わせながらキーを打つ今だって現実だし






途中までの中途半端に積まれた漫画本や


アイロン台の上に積まれたエプロンやバンダナとかの




つい目を逸らしたくなる自分の怠慢さが表れる目の前のものから






職場での自分の立ち振る舞いだとか


人間関係だとか、好きな人・怖い人への思い込みだとか






自分の価値観・信念・追求欲だとかの










あらゆるものから解放されて全てを0にしたいと


我が儘にしか聞こえないような事ばっか願ってた。








だから、


仕事辞めて知らない国の土地に住み、現地で言葉を覚えながら働くのもいぃなって思ったし


とにかく旅に出たい、自由気ままに過ごしたいとも思うし


何も考えない方が楽だと思ったけど








実は考えた方が、楽だったりするのかもね。








あたしは、27年間生きてきて、自分の有終の美のケリを


どのようにつけるかなんて考えた事なかった。








普通の結婚を夢見てるくらいしかない段階である今。








2013年を目前にして、出来る事は何だろう。












あたしは自分が好きではない。




自分を正直に表現する事しかできない。






たとえば


強い者にまかれてヘコ②上っ面で迎合するのも得意な方じゃない。


かと言って、周りに合わせられない自分も好きではない。


だって社会に適応できないって事でしょ??




けどそんな事をする価値はあるのか??って思う。子どもでしょ。


皆大人だから、その辺の事わかってるからするなんて事、よーくわかってる。






けど、うまく生きれないんだお。








人生に価値を置くのは、そんな事ではない。




そんな小っさい事じゃない。








もっと別の何かで




頭で描いてるよりも、大きな・大きな…。








精神と体がお互い作用している。




万物が循環し合って命が巡る。



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県内チューリップ園にて。

あたしの命って、神様から与えられた期限付きのものなんだよね。








ただ今、五月病患者。




アレルギーなのか風邪なのかわからない、鼻水に悩まされて


職場にいるあの先生の事を思い浮かべて登園拒否したいと思ってる。






けど、それは氷山の一角。


たとえば職場は仮に1つのステージで


そこをやってのけれないなら、人生も同じ。






厳しい現実に向かうのは、今のやわ②なあたしには、到底耐えれるものではない。








そこで何を武装するのか??






それは“自己否定”であり、神様の人類に対する“愛”である。












あたしは今まで何もしてこなかったよ。


全ての現実を


まるで無視して、“点”でしか捉えられなかった。








けれどこれからは“線”であると見なしていきたい。








神様の存在無しでは生きていけない無能な自分であることを


再認識せざるを得ないという事を念頭に置き






ゴールをどこに設定して、どぅ改めて生活を改善していくのか


心のスピードにどこまで体についてゆかすのか




まだ未知数でここに書くだけじゃわからない事だらけだけど、






桜も散ったので浮き足立つのも終わりにしたいと思う。


そして噴き出す新芽の如くに生きてゆけたらと思う。






けれどまだ不安があるのは


神様を求め足らんから。








現実にへし折られんように柔軟になるんが、今の自分に出来そうな第1の課題です。































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