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結婚し、その間に旦那の不倫やらなにやらと問題があり、実家に帰りました。


帰ったのは妊娠がわかって2週間後の話。

初めは喜んでいた旦那。

だけど、数日後には『堕胎してほしい』と言われましたよね。

しかも義理の母からも。
衝撃を受けました。



『今は豆粒だから、まだ堕ろしても罪にはならないから。』と。



10年たった今でも思い出したら悲しくなりますよね。


度々、旦那や義理の両親が話し合いで実家に来ましたが、あちらの言うことには全然誠意を感じなくて、戻ってきてほしいと言われても、正直前向きにはなれずにいました。


それは、出てくる言葉は優しいですよ。
気持ちが見えなかった。

謝ってないですから。
ただ帰ってこいと言われても、傷ついた私と子供の存在はどうなの?と思って泣きながら罵声を浴びせていたような気がします。


今思えば、ままごとすらも出来てないただのバカの集まりです。


そこから確かに旦那や義理の両親に殺意を抱いた事もあるし、私と同じくらい悩んで苦しみ抜いたらいいと思いました。


胎教には良くないですけど。


行き場がなかったです。
気持ちも心も。

完全に人としても壊れてました。

だけど、家族はみんな私を支えてくれたので幸せだったんだと思う。

9ヶ月で息子に『口唇口蓋裂』があるかもしれないと言われ、なんだかわからないけど、すごく怖くなった気がします。

大きくなるおなか。
胎動。
悪阻。
眠気。

今では懐かしいですね。


性別がどっちなのか早く知りたくて、おなかの形を見て、男の子か女の子かなんて話してみたり。



その反面、心の闇は大きくなった気がします。



寒い冬の朝方、予定日の三日前に陣痛がきて。
父が仕事に出ていたので、知り合いにお願いしては病院へ行き、子宮口が開かずにまた帰るを繰り返した三日間。


しかも、その次の日はボジョレー・ヌーボーの解禁日。

父のため、近くのお店に予約していたので陣痛が治まった隙を見て取りに行きました。
若さ…ですね。


繰り返してとうとう出産日。

旦那に責任感をもってもらうため、来てもらいました。

もう10年たってますから、断片的にしか覚えてません。



仕事を早引きしてきた旦那。

陣痛室に入ってきて、背中さすったり、痛いとこを押してくれたり。

殺伐としてましたが、優しいところありましたが、私はさわってほしくなったな。


体の異変に気付き、すぐ分娩室に。


それからたぶん三時間。
なかなか産まれず、いきむこともできずに虫の息の私。


それを見かねた先生がお腹を押してくれて息子を出産。

無理に出したので、子宮が裂けました。


麻酔なし、出血過多。
死ぬ目に合った。



やはり、子供の口には障害はありました。

病室へ行き、体験したことのない痛みと疲労。

不安と緊張感。


座れない、立てない、寝れない、動けない。

究極に恐かった。


誰もいない病室で、なんにも出来なくて。

気丈ではいられなかった。



同じ日に産まれた子は、ママと再会していたのに、なぜか私には赤ちゃんの情報がなく、勿論聞いてもはぐらかされたりしました。


その頃、息子に起こっていたことは、哺乳瓶の乳首が息子に合うものがなく、ミルクが飲めなくて生命の危機だったみたいです。


それを聞いて慌てて部屋に連れてきてもらい、いろんな形の物を持ってきてもらい、死なせない為に座れないところを頑張って探してミルクをあげていたんです。


最後のひとつも合わなければ、諦めてくださいと言われてましたから。



必死でした。


とにかく、無我夢中でしたね。


その後、体重も戻り無事退院し、家での悪戦苦闘がはじまりました。


続きはまた後程に。