冷たくて明るい宝物 | ウサギとカメな日々

冷たくて明るい宝物

動物病院の先生が、

私のブログを初めて見て

言ってくれた。

「本当に(光太郎と)楽しく暮らしてたのね」



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それを読んで、また涙…

そう、光太郎はかわいいだけじゃなかった

本当におかしなクセがいっぱいある

笑える、味のあるやつだった


光太郎がいたから、毎日、うちのなかは

笑いがたえなかった。




神出鬼没で



傍若無人


へんなところにもぐりこむのが好きで



なぜかダンナが爪切りをしてると

必ず妨害し



私たちが座ろうとしてるところに

先回りして動かず





目の前にフルーツがあるのに

一心不乱に新聞紙をかじり




ティッシュがあるとぐいぐい引っ張り


そのくせ、怖がりで

体の一部がどこかに触れてないと

眠れなかった







そして、食いっぷりがよくて

好物をあげると本当に嬉しそうで





おやつを食べてる姿だけで

私たちを幸せにしてくれた。




本当にこの気持ちは、恋に似ている。


どんなにつらくても、忘れたくなかった。

つらい気持ちは、

幸せだった記憶とひとつに溶けあっているから。



ハチクロの山田さんの

真山に対する思いのように。


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だけど、彼女の思いと違って

目の前から永久に消えてしまった

愛するものへの記憶は、

時間がたつごとに少しずつ

悲しみと離れていく。


温かく明るく、なつかしい

宝物に変化していく。



携帯の待ち受けの、光太郎の写真を見るたびに泣けて

一刻も早く消さなければ

と思いつつ、消せずにいたけど







このごろは

ずっとこのままにしておきたい

そんな気持ちになっている。




光太郎の前に飼っていたゴールデン・ハムスターが

2匹、あいついで突然死した時

ダンナのペットロスはすごかった。


「このままにしておけないから

埋めにいこう」


と言っても、布団から出てこれなかった。


「もういやだ」

「聞きたくない」

と、心閉ざしまくり…


結婚して20年、あんなに

精神崩壊状態になったダンナを見たのは

後にも先にも、あの時だけ。


だからずっと、

光太郎が亡くなったら

どんなになってしまうんだろう?

と思っていたけど

意外に淡々と冷静に受け止めているように

(私には)見える。


それは、寿命が数年といわれて飼い始め

その倍も長生きしてくれ

心の準備ができまくっていたこともあるだろうけど

私には、ダンナの責任感ゆえの反応にも思える。


猫が好きで好きで、本当は猫が飼いたかったダンナに

動物病院の先生は

「子猫のうちからいっしょに飼えば大丈夫」

と言ってくれた
(先生の家でも、猫とうさぎをいっしょに飼っていた)



私もそう言ったのだけど

ダンナは頑として、聞かなかった。


「これから僕たちは、光太郎の介護をしなくちゃ

いけないんだよ。

子猫がいたら、光太郎の介護が充分に

できないじゃないかむっ



じっさいは光太郎は、

私たちの予想をはるかにこえて長生きしてくれて

その会話からさらに2~3年は

元気にとびまわっていたのだけど


その言葉を聞いて、

私はダンナの、生き物に対する責任感の強さに

あらためてびっくりしたのだった。


光太郎が、ダンナにだけあんなになついたのも

動物の本能で、自分を本当に守ってくれる相手を

ちゃんとわかっていたのだと思う。



だから、きっとダンナは、

光太郎を失った悲しみと同じくらい

最後まで介護しきれたこと

苦しませずに送れたことの

安堵感、解放感があるのかもしれない。


ダンナの愛の形というのは、

「自分が愛した相手を、最後まで守る」


ということなのだ。


ダンナは

光太郎を自分なりのやりかたで、

最後まで愛しきったから

今、悔いがないのでは


そんな気がしている。