託生が俺の前に現れることはない。
彼のことは名前以外なにも知らない。
住んでいるところも。
何をしているのかも。
彼が俺のところに来てくれる以外にもう一度会う手段はない。
託生に恋している、という島岡の指摘を認めるつもりはなかった俺だったが。
彼に会えない日々が続くうちに認めざるを得ない気がしてくる。
託生に会いたい―――。
今日みたいな雨の日は、あの日のことが思い出されて。
胸が苦しくなる。
―――また、無茶をしてなきゃいいんだが。
初めて会ったとき、男に襲われかけていた託生だ。
あんなこと。
自分の目の届かないところで起こっていなければいいのだが。
心配は尽きない。
「今日も歩き、ですか?」
「ああ、健康的だろ?」
島岡に問われて笑いながら返す。
これもあの日から。
駅から自宅マンションまでの道のりで黒猫に出会うかもしれない、と続けていること。
朝は迎えの車で通勤しているが、帰りは歩きにしている。
島岡は俺の様子に感じるものがあるのだろう。
だが深くは追求しないでいてくれる。
正直、有難い。
さりげない気遣いが染みるのは、俺が弱っているからだろうか。
「じゃあな。お先。」
「休日出勤、ご苦労様でした。」
雨の中、駅から自宅までの道を歩く。
つい周囲に視線を巡らせてしまうのもあの日からの習慣だ。
だが、託生を見付けることは出来ない。
「・・・おまえ、どこにいるんだよ・・・。」
小さな呟きがこぼれる。
今日は日曜日。
託生と出会ったあの日も日曜だった。
確かあの日も休日出勤で・・・。
トラブル続きで日付が変わるギリギリで・・・。
俺は左手の腕時計を見る。
「・・・8時か。・・・映画でも見ていくか。」
俺は踵を返して来た道を戻った。