あらかじめ纏めていたらしいスーツケースを足下に従えた尚人。
すぐに出るという彼を玄関で見送る託生とギイである。
「行ってらっしゃい。ミナミさんによろしく。あ、あと。父さんと母さんにも。」
「ああ。託生も気を付けてな。」
単なる留守番で一体何に気を付ければいいのか。
相も変わらずの兄の心配性に呆れつつも。
「はいはい。」
と返事した託生の頬に尚人の指先が伸びてきて掌が頬を覆ったと思ったら。
ちゅっ。
もう片側の頬に尚人の唇が音を立てて寄せられた。
「っ!に、兄さんっ!!」
も~っっ!
ふざけるばっかりしないでよっ!!
盛大に怒る託生を尻目に。
尚人は怒りに吊り上がった形相のギイを手招いて、その耳元に囁く。
「―――託生のこと泣かせたら、許さない。」
視線が絡んで・・・ギイは知る。
尚人は自分が託生と付き合っていることに気付いてると。
気付いて、そして。
―――それでも、何も言わない?
以前の、ギイの知る尚人であれば。
自分たちの仲を断固として反対しただろう。
どんな手段を用いても仲を引き裂こうとしたはずだ。
ギイの知る尚人とは、そういうヤツだった。
託生を好きになって、想いは愛へと変わって。
数えきれないくらいの幸せもあったが同じくらい、いや、それ以上の苦しみもあった。
幼馴染みで同性で。
どうしたって進み様のないこの恋にどれ程絶望したことか。
奇跡のように想いが通じた今でこそ心穏やかに振り返ることが出来るが、当時の苦しみは少しも褪せてはいない。
その一点に於いて、ギイと尚人とは互いに認めたくはないだろうが同類なのだ。
同じ想いを秘めてきたギイと尚人。
しかし、その苦しみは尚人の方がより重かっただろう。
何しろ愛した相手は実の弟だったのだから。
静かに、だが、少しずつ確実に。
まるで砂時計の砂が少しずつこぼれ落ちていくかの如く。
尚人の心は誰にも気付かれないままにゆっくりと歪んで捻れて、いつか擦り切れてしまうのではないか。
そして壊れた心が向かう先は――!
そんな恐ろしい想像が、決して単なる想像の範疇では済まない気がしてならなかったギイである。
夏休み終盤に何とかここに来れるよう散々無理したのも、単に託生に会いたかったからということもありはするが、それ以上に。
尚人という、いつ崩落するかも知れない存在が託生の側にいる。
その事が不安で堪らなかったからだ。
だが。
今のこの尚人の瞳を、視線を、真っ正面から受け止めて。
ギイにはわかった。
尚人が見ている世界はもう、歪んでなどいないということが。
尚人に何が起きたのかそれは計り知れないけれども。
確かな変貌を目の当たりにして。
「わかってる。絶対に泣かせない。託生のことはオレが守る。」
ギイは姿勢を正して応えた。
託された想いの重さを知っているから。
その痛みの深さも。
決して忘れはしない、その誓いを込めて。