「なあ、結婚しよう。」
休日の昼下がり、俺たちのペントハウスに射し込む暖かな日差しの中。
ソファの俺の隣で、俺の淹れたコーヒーを美味しそうに飲む託生へ。
何の前振りもなく、唐突に言う。
「・・・へ?」
当然、驚いた託生は目を丸くして絶句したまま二の句が継げない。
俺は託生からのリアクションをジリジリとする気持ちに耐えながら待った。
託生と再び歩き始めてから二年。
初めは今まで通り、日本を拠点として生活をしていた託生だったが。
海外での演奏活動に本腰を入れるのを機に、俺との時間を大切に考えてくれた結果、俺たちはNYのペントハウスを新たに購入してそこで一緒に暮らしている。
本当はヨーロッパの方が託生にとっては何かと都合がいいのだろうが、
「ギイはお仕事があるんだから。僕は演奏会の時だけの事だし。日本からよりは近いんだから大丈夫だよ。」
という気遣いからNYを拠点としてくれた託生だ。
託生の飾らない、ありのままの深い愛に包まれて。
俺はこの上なく満ち足りた日々を過ごしている。
失った記憶も日を追う毎に思い出して、今ではほぼ、思い出したと言える状態だ。
今の生活に不満はない。
でも――――。
「ギイ、いきなりどうしたの?結婚、なんて・・・。」
「嫌か?」
狼狽えた声を出す託生に、俺は真剣に問い掛ける。
「や、嫌ってわけじゃ・・・。でも、」
託生が躊躇う気持ちは、俺にだってわかる。
男同士だしな。
だが、俺は、託生が俺のものだという確かなものが欲しいんだ。
託生はバイオリニストとして更なる変化を遂げて、今では世界的にその名声を轟かせるまでになっていた。
素晴らしい演奏と、それに傲ることもなく謙虚で誠実な彼の人柄は、共演者や演奏会関係者、果ては楽屋見舞いに訪れる様々な人々までもを次々と虜にしていっている。
それだけでも十二分に心配だというのに。
以前となんら変わる事なく、託生の伴奏者として常に託生の傍に位置する城縞や、拠点をNYに移すに当たり担当変えになるとの予想を跳ね退けて未だ託生のマネージャーとしてNYまでくっついて来て託生に張り付いている飛鳥。
その他にも、きっと俺の預かり知らぬところで託生に想いを寄せる者はこの先いくらでも現れるに違いない。
これは心配性でも取り越し苦労でも何でもなく、単なる事実だと俺は確信している。
託生には誰もが惹き寄せられてしまう魅力があるのだ。
しかも天然で自覚なしだから始末に終えない。
託生と正式に付き合うに当たり牽制も兼ねて俺の実家に託生を紹介に行った際もそうだった。
託生のことをかなり好意的に見ていたエリィはともかくとして、挨拶を交わしたその瞬間から託生にベタ惚れ(!)になったおふくろ。
息子の同性の恋人だぞ。
もっと、こう・・・色々と言われるかと覚悟してたのにな。
今ではすっかりと仲良くなって。
ヘタをすれば息子の俺よりも託生のことの方が好きなのではないだろうか?
託生を実家へ連れて行けばエリィとおふくろで取り合いになって大変なことになる。
うっかりと近付くことも出来ない。
かと言って疎遠にしていれば、遊びに来い、との連絡が来るし。
まあ、拒絶されるよりは遥かに良い反応ではあるのだが。
何故か素直には喜べない。
一波瀾あるだろうと覚悟していた親父とも驚いた事に上手くいっている。
いや、正確には俺の知らないところで何事かはあったのだ。
そうでなければ、あの親父がこれ程すんなりと認めるとは思えない。
親父に会わせた時、託生が親父と二人きりで話した内容を俺は知らない。
ちゃんと知っておきたくて託生に訊ねたが、もう済んだ事だから、と託生は話してはくれなかった。
そういうところは見掛けによらず意外と頑固なのだ。
だけど一つだけ。
「ギイのお父さんが僕にSub rosaを渡してくれたんだ。だから僕はまたギイに逢えた。その事をとても感謝してるんだ。」
そう言った託生の瞳は綺麗に澄んでいて。
何としても詳細を知りたい、と思う俺の心をやんわりと抑えた。
知りたい、が託生が知らせたくないというならば仕方がない。
彼の澄んだ眼差しを曇らせたくはないから。
その代わりに。
この純粋な存在を、自分の全身全霊を懸けて守る、そう誓った。
守りたいから・・・それは確かな理由。
けど、幾つかある理由の一つに過ぎなくて。
やはり一番の理由は・・・。
「俺は臆病だからさ。おまえを誰かにとられないか気が気じゃないんだ。365日、朝も昼も夜も。いつだっておまえの事考えてるよ。傍に居られないときも、おまえが俺のものだって、安心したいんだ。」
俺の言葉を瞳を逸らさずに聞いていた託生は、ふいにクスクスと笑いだした。
「ふふ、変なギイ。僕の事なんて一体誰がとっていったりするのさ?そんな物好きはギイくらいのものだよ?」
「ばか。笑うなよな。」
人の気も知らず呑気なことを言う託生に、俺は年甲斐もなくふくれてしまう。
「ごめん。ごめん。」
尚も笑いながら俺の事を抱き締めてくる託生を、逆にこの腕の中に捕らえて。
「俺は真面目に言ってるんだからな。本気なんだ。おまえと結婚したい。返事は?」
いいよ、って言えよ。
おまえの優しい声で、そう言ってくれよ。
祈る想いで託生を抱く腕に力を込める。
「・・ギイ、苦しいよ。」
託生の苦情に込めた腕の力を緩めた。
瞬間。
伸び上がっての託生からのキス。
掠めるようなそれを受け止めて、目をぱちぱちと瞬かせてしまう。
「いいよ。どんな道だって、ギイと一緒なら僕は歩いていけるから。」
そんな俺に潤んだ瞳で告げてくれた託生。
俺は誓う。
これから先、どんなことがあっても。
この人と共に生きていく。
俺の全てで守り、そして守られて。
もう二度と離さない。
end.