Gmailの削除 追記 | うささくらのブログ

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なんとなく感じた事

暇なのでスマホいじりしてると
ストレージ不足で
写メが収まらなかったり
アプリが下ろせなかったりで
ストレージ確保の為
要らない写メやメールを削除
写メは割と早く作業が終わったが
問題はGmailやった。
パソコンなら一気にゴミ箱へ
捨てれるのに携帯だと最大250件
軽く考えていたらとんでも無かった😨
何度も最大250件づつ削除をしても
減らないメールにビックリ
1000件以上に残ってたら
99+と表示され削除してもしても
減らないのです😱
多分3時間以上同じ作業を繰り返し
又はその後のゴミ箱をすべて空にします
の作業もしなくては終わらない
何件?いや何万件とあったかも
中身はほとんどメールマガジン
そしてFBの更新される度のお
知らせメールばかりだった
たまにプライベートメール
削除してると日付が
年月が遡って行くのに気づく
一体何年前からのが残ってる?
せいぜい2.3年前か多くても5年前
それぐらいに思ってたら
ビックリ!ラストは2010年だった
今は2023年を終わろうとしてる
絶句!13年前からのメール😵
溜めすぎやろ。
13年前は何してたんや?
記憶をたどると…

確かに忙しかったわ

母が亡くなりしばらくして

兄も体調を崩し

食べれなくなり入退院を繰り返して

とうとう胃ろうの手術を受けた頃で

週に何度か湾岸飛ばして

西宮の施設と病院を行ったり来たり

心身共にしんどかったな

今回のメールの中に自分で自分に

メール飛ばしてるのがあったわ

病院の待ち時間か何かやろか

自分が壊れないように

必死に支えてる私からの

メッセージやわ

今の私にも当てはまるかも

又送っとこ。
障害者の兄は施設生活を
子供頃からしてたけど
昔は良い施設も無く
身体知的の複合障害者施設は無く
家で隠しながら生活してるのが
ほとんど当たり前やったし
あったとしても劣悪やったり
犬猫同然の扱いやったり
それでも預かってあげてる感が
見え見えだったような記憶
時代の背景も有り障害者支援の
国の施策で生涯亡くなるまで
生活出来る施設が出来て
病院も併設で不自由なく
暮らしていけるはずが50年程
年月が過ぎると世の中が変わり
予算の都合か常設の病院は無くなり
通いドクターも少なくなり
常勤のナースも無くなりと
色々と様変りしてくる。
そんな中での兄の体調が悪くなり
食べれなくなり入院
頚椎狭窄で神経圧迫で神経が悪く
食べれないのかもと手術して
一度は回復の兆しも見え退院
でも2日目には高熱でアウト
食べれない飲めない兄を施設での
管理は無理なので病院へ
搬送することになったが
病院側の受け入れる条件は
胃ろうの造設手術をすること…
でも、胃ろうを受けてしまうと
今まで生活していた施設では
預かれないから出なければあかん
どちらにしても大変や
これを私が決めなければならんのか…
選択肢は生きてて欲しい
それだけや
施設に戻れなかったら
私が仕事辞めて引き取るしか無い
生活どないしよ…
と苦しかった事思い出した
その時のメッセージやわ
リハビリ病院を1年半程過ごし
結局見てもらえる施設が見つかり
願った未来はあった。
胃ろうして8年生きてくれて
思い出も作れたわ
もう見送ったけどね。
あれから13年か…
メール削除作業のおかげで
見つかったメッセージで
又元気出てきたわ
次の未来も楽しみやわ
追記

メール削除に手こずって

一口食最後のメニュー忘れたんで

主食 白粥

副菜 インゲンのごま和え

   小松菜の煎り豆腐

メイン 白身魚のソテー

  モヤシ添え

  ふりかけ

白身魚は鯛…かな?

ご馳走様