「眠ること」


それは、
すべての喧騒から逃れられる唯一
の避難所


その欲望に取り憑かれた人は
数え切れません


しかし、
その強い願望を叶えるために
「薬」に手をつけたことで


人生のすべてを失うことも
あります


今回は、そんな悲運に
わずか16歳という若さで出会っ
てしまった
ひとりの天才バイオリニストを
ご紹介したいと思います




その名は、「渡辺茂夫」




···········時は1955年7月··········


もし、あのとき日本へ帰ってきて
いたら・・・


彼の人生を知ると
そんな「もしも」を考えずにはい
られません


幼い頃から、彼の手には「神」が
宿っていました


わずか七歳で
デビュー・リサイタルを開き
少年とは思えないほどの完成度の
高い演奏


やがて世界的なバイオリニスト
ヤッシャ・ハイフェッツの目に留
まり、その才能を高く評価された
ことをキッカケに、アメリカに渡
ることになります


そのとき、彼はまだ14歳


両親のもとを離れ、単身、
海の向こうのニューヨークへ


そこに待っていたのは
世界最高峰の音楽教育でした


ジュリアード音楽院には無試験で
入学を許され、
史上最年少の奨学生にも選ばれ、
周囲から寄せられる期待は、少年
にとってあまりにも大きかった


けれど
その華やかな舞台の裏側では
少しずつ茂夫の心に影が差してい
きます


異国の生活

家族と離れた孤独

人間関係の難しさ


そして、天才であるがゆえに
背負わされた
終わりのない期待


1957年には、茂夫は情緒不安定を
訴えるようになり、精神科へ通院
するようになりました


その後もホームステイ先を変えな
がら生活を続け、夏にはカルフォ
ルニアで恩人ハイフェッツと再会
を果たします


そこで演奏を聴いたハイフェッツ
は、彼の演奏を高く評価したと伝
えられています


それでも、
ニューヨークへ戻った彼を待って
いた現実は、決して穏やかなもの
ではありませんでした

ジュリアードで再び学びながら
生活のためにオーケストラの仕事
もある

音楽家として生きていくには
まだあまりにも若い少年が、自分
自身の生活まで背負わなければな
らなかったのです


そして秋が深まるにつれ
孤独はさらに募っていきました

家族は、日本から息子の変化を
感じとっていました



「帰国させてほしい」



そんな願いを
家族は現地の関係者に訴えます

けれど、帰国よりも現地での治療
を優先する方針がとられ、
茂夫自身も、11月には日米協会を
訪れ、帰国の意向を示していたと
される資料も残されています


そして11月某日…


運命の日がやって来ます


彼は大量の睡眠薬を服用しました


その後、病院へ搬送されます


公的な資料では、
「真相不明の睡眠薬」
とされ、その詳細については薬名
は断定されていませんが


現在のAI調べによると
「スコポラミン」
「プロバンサイン」
の空になった薬瓶があったと
されています

または、当時として
パルビツール酸系睡眠薬が濃厚説
とも言われています


幸いに…
命だけは取り留めましたが

長時間にわたる重篤な状態の末
彼には大きな脳障害が残りました


資料によると
大脳皮質の損傷により
言葉や行動の自由を失った状態
になったと記述されています


それまで、 
彼の指先から生まれた音楽

弓を弦に置いた瞬間に広がった
あの美しい音色

世界中の音楽家たちが
「神の手」
と呼んだ少年の未来


そのすべてが
わずか16歳で突然、途切てしま
ったのです


翌年、茂夫は日本へ帰国しました


けれど
もう以前のようにヴァイオリンを
弾くことはできませんでした


天才少年としてアメリカに渡った
青年は、今度は家族の支えなしに
は、生きていくことさえできない
身体になってしまったのです


養父・季彦は
その後長い年月にわたって彼を
自宅で介護しました


四十年以上


それは
あまりにも長い時間でした


きっと季彦の胸には
何度も同じ問いが浮かんだのでは
ないでしょうか


あのとき、 
日本へ帰ってきていたら


あのとき、
何か別の道があったなら


しかし、過ぎ去った時間は二度と
戻りません

茂夫自身も、もう自身の人生を
以前のように語ることもできませ
んでした

それでも、不思議なことに
彼が少年時代に残した演奏だけは
消えませんでした


年月が流れ
1988年には関係者の尽力によっ
て、かつての演奏や肉声がCDと
して残され

その後、伝記やCDの発売を通し
て、再び「幻のバイオリニスト」
として人々に知られるようになり
ました


もしあの日がなかったら


薬さえ飲んでいなかったら


もし、海の向こうで孤独を抱えた 少年に、別の支えがあったなら


世界中のどこかの大きなホールで
成熟した彼がヴァイオリンを奏で
ていたことでしょう


しかし
その未来は訪れませんでした


残されたのは
若き日の演奏と
長い沈黙


そして
「神の手」と呼ばれた
ひとりの少年が、音楽の世界から
突然姿を消してしまったという


あまりにも切ない記憶だけでした








過去は大切な思い出です


人は過去があるからこそ
明日を生きていけます


けれど
ときには、その過去を消し去って
欲しい日もあります


そう…
診療内科を受診した日


あの日さえ消えてしまえば


今の、
この苦しみは
なかったことでしょう


私も彼と同じ思いです


幸いにして、睡眠薬には手をつけ
ませんでしたが


もしも
主治医に「眠れない」
と一言告げたならば
どんなことになっていたか
想像するだけで恐ろしくなります


睡眠薬は「認知症」へのリスクが
最も高い薬とされています


どうか皆さま

睡眠薬だけには手をつけないでく
ださい


飲む選択肢もありますが


飲まない選択肢もあります


不眠が続くからといっても
人間なんて一週間眠らなければ
嫌でも眠れるようになります



一度壊れた脳は
元には戻りません


どうか
思い留まることを
お勧めします







きっと彼も······

天国で同じ思いを呟いていたの
でしょうね