このところ朝夕だいぶ冷え込んできました。
球磨地方名物の霧が発生しています。
 
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ガードレールの先には田んぼがあるのですが
霧で先が見えないのが判りますか?
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日食グラスを使わなくても、太陽が直に見えます。
(月ではありません。)
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この日は中体連陸上競技大会が行われていましたが、各学校のテントも霧でうっすらとしか見えていません。
 
町亞聖さんのお母さまも学生時代にはこんな霧の中を登校されていたんでしょう。
今週月曜日に、フリーアナウンサー町亞聖さんの講演会が開催されました。
 
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多良木中学校、多良木高校の生徒を対象にした『18歳からの10年介護』という講演でしたが
町さんのお母さまの同級生の方々も多く聴きに来られたということで
壇上に上がられて、町さんは感極まって涙声になられました。
 
亡くなられたお母さまが帰りたかったであろう多良木町の体育館のステージから
お母さまを看病なさったこと、家族の面倒をみなければならなかったこと
受験勉強やアナウンサーの試験等のことなどを話されました。
 
お母さまが病気で倒れられた当時はまだ介護保険もなく
バリアフリーとかユニバーサルデザインという概念さえない時に
障害があるということで家に引っ込んでばかりいてはダメ!と
機会があれば車椅子のお母さまと出かけていたそうです。
今では障害者用の駐車場やトイレがある場所も多いですが
当時車椅子で出かけるのも一苦労されたでしょう。
 
 
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頑張り屋のお母さまは、左手で細かい作業などができるようになられたそうです。
やはりお母さまのそういった頑張り屋のところが町さんに受け継がれているのでしょう
18歳の高校生で幼い弟妹の面倒をみながら受験勉強をしたりと
私が18歳だった頃には到底真似ができないことです。
家族に対する愛情がとっても深かったのでしょうね。
 
またお母さまはもしかしたら高次脳機能障害だったのでは、と
リハビリや治療の方法も今だったら違っていたのではないかと思われることもあるそうです。
日々医療も進歩しているし、今だったら介護やリハビリの仕方も違っていたかもしれませんね。
 
お母さまが過ごされた、そして
おばあちゃんが住んでいらっしゃる多良木町が
亞聖さんにとって故郷と思ってくださったら、こんな嬉しいことはありません。
おばあちゃんに会いに、また多良木町に遊びに来てくださいね。
お待ちしております。