今日は日没後の帰宅途中に山を眺めたら、稜線がくっきりと綺麗に見えていました。
今日のいさぶろう・しんぺい号は桜島まで見通せたかもしれませんね。
左が東に位置する市房山                   右は南にある白髪岳
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どちらも雪が残っています。
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薄紅の夕暮れ。タバコの畝立も済み植え付け準備も万端なようです。
 
さて、昨日は寒い中、歴史回廊たらぎセミナーの現地学習会に行ってまいりました。
4箇所連れて行っていただきましたが
その中の1つ、中山観音堂。相良三十三観音の28番札所です。
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こんな雪の中の参道をゆっくりと上って行きます。
 
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登りきって階段を見下ろしたところ      右が観音堂です。左奥にも小さなお堂が見えます。
私は伯母と一度来た事があると思っていましたが、階段を上って真正面にお堂があるところだったので
どうやら次の29番札所の宮原観音と思い違いをしていたようです。
 
中山観音堂は相良藩家老 井口石見(辰美)の隠居所で
相良三十三観音巡礼のご詠歌を書き遺した場所だそうです。
観音めぐりの宝印帳を見てみたら、もう一人の詠み人、武親が詠んだご詠歌の方が書かれていました。
 
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観音堂の中には、球磨で、いや熊本県内で最古の木彫仏かと言われる聖菩薩像と四天王
でも広目天はなく、増長天が2体と多聞天(毘沙門天)、持国天の4体ではないかと言われました。
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この聖観音さまのプロポーションがとってもいいんです。
ウエストがきゅっと締まり、腰も高く横から見た形もとってもよく(あやかりたいものです)
都の仏師作ではないかという事です。
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お堂の床にはボコボコと丸い小さな痕がいくつもついています。
これは近所の子どもたちが独楽を廻して遊んだ跡です。
昔の子どもたちは雨の降る日とかこんな場所で遊んでいたんでしょうね。
 
それから、小さなお堂にも傷んではいましたが、木彫りの仏像が祀られていました。
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左と右はプロポーションがちょっと違います。都の仏師と地方の仏師との違いだそうです。
地域の方がこのお堂は女人禁制だったと言われました。
・・・そう言えばうさ平サンの実家の氏神さまの小さなお堂も女人禁制だと言ってましたが
結婚したばかりの時に、知らなかったので上がりました。
しかし、そう言った義母も上がった事があるような口ぶりでしたが・・・。
 
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観音堂の前には、前述した井口石見の逆修碑があります。
逆修碑というのは、生前に本人が生葬式をして自分の後世のために建てた碑だそうです。
後ろには辞世の句が刻まれていました。
「かくて世に あるてふものをおいの身の いつをかきりのいのちなるらん」
と書かれていたようですが、読めませんでした。
 
碑の向こう側では、たき火で暖をとる人たちがいます。
この日の学習会でこの観音堂が一番寒かったんです。
鬱蒼とした林の中でもあり、すきま風も吹き、足が冷たく霜焼けになるかと思いました。
水を溜めてある大きなバケツがあったのですが、それも見事に凍っていました。
でも、寒さを吹き飛ばすくらいの見事な聖観音さまと四天王像でした。
春のお彼岸にはぜひ訪れて見てください。素晴らしいですよ。