SL人吉やくま川鉄道の素敵な列車を撮られ、敬愛する球磨川の汽笛♪さま
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から百太郎溝を渡る橋梁の名前を尋ねられ、こりゃ~地元なので、行かねばならぬ!
と愛チャリを漕いで運動がてら自宅前の百太郎溝を遡って行ってみました。

途中で列車の音がしだしたので、自転車を漕ぎつつ左手でカメラのシャッターを押しました。
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撮れた?手袋をしたままの操作でしたので半信半疑だったのですが、何とか撮れていました。
この橋梁の名前???
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この反対側から見たところに小さなプレートもみえましたが、字が見えません。
線路には何か手掛かりはないだろうかと、列車も行ったばっかりだし登ってみました。
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仁原BDCと書かれた配電盤?がありました。ここは地理的に黒肥地仁原地区だし
仁原橋梁なのか???対岸は多良木赤坂地区です。
線路に上がっておてんばぶりを誰かに見られ、斬り首曝し首にあってはナラヌとそそくさと降り
百太郎堰に向かいます。
自転車道が整備されていますが、途中から百太郎と並行する旧道(?)をまっすぐに進みます。
途中の杉木立の中に「旧百太郎水路跡」の柵を発見!
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現在ある樋門までもう少しあります。
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百太郎公園に着きました。
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正面奥に見えるのが、旧樋門です。
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現在の200メートル下流にあったと書いてあります。先程のところに取り入れ口があったようです。
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公園内には多良木町の俳人宗像夕野火さんの句碑がありました。
夕野火さんは同級生のお父さんでもあります。
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第4期は錦町一武の原田川まで伸びていると書いてあります。
第5期は錦町西村まで延長されたようですが、水不足により畑地に還っているという事です。
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現在の百太郎取り入れ口樋門です。
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市房山をバックに撮りたくて、球磨川の河原におりてみました。
小さくて見えないと思いますが、実は旧樋門も映り込んでいます。
右の窓(?)の向こうに赤い看板があるのですが、その向こう側です。
汽笛♪さまのお陰でお勉強ができました。
って、をいヲイ!橋梁の名前判ってないですよ。
そうでした。そこで思い切ってくま川鉄道に電話してみましたら、
「百太郎」とだけ表記してあるので「百太郎橋梁」ですかね~と親切に教えていただきました。
どうもありがとうございました。
他にも、百太郎が行っている錦町一武の原田川に掛かる橋梁は「三丁第2橋梁」だそうです。
川を渡っている橋梁は川の名前がついているそうですので
小纚川を渡るのが「第1高柱川橋梁」だと汽笛♪さまから教えてもらいましたが
小さで川の事を昔は高柱川と呼んでいたのではないかと思いますがどうでしょう???
判ったらまたお知らせします。
追記:多良木町の下水道のマンホールのふたが百太郎樋門の意匠でした。
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