今夜から“たらぎを知り、たらぎを愛し、たらぎ力を生み出す”ための歴史学習講座
「歴史回廊多良木セミナー」が開催されました。

150人を超える受講者で、遠くは菊池市から参加されているそうです。
講義が5回(maybe?)と2/11の現地学習会があります。
予想をはるかに超える参加者で3台のバスで、2班に分かれて2/14も追加になり
現地を案内されるそうでとても楽しみです。
「歴史回廊多良木セミナー」が開催されました。

150人を超える受講者で、遠くは菊池市から参加されているそうです。
講義が5回(maybe?)と2/11の現地学習会があります。
予想をはるかに超える参加者で3台のバスで、2班に分かれて2/14も追加になり
現地を案内されるそうでとても楽しみです。
第1回めの今夜は九州大学大学院の服部英雄教授の「多良木相良氏とは何か」をテーマに
講義がありました。

服部先生は東京大学国史学をご専攻され、修士論文多良木相良家を書かれ、なおかつ新婚旅行にも
人吉球磨の地を選んだということで、奥さんはお友達から可哀相と思われたそうです。
講義がありました。

服部先生は東京大学国史学をご専攻され、修士論文多良木相良家を書かれ、なおかつ新婚旅行にも
人吉球磨の地を選んだということで、奥さんはお友達から可哀相と思われたそうです。
さて、講義ですが、中学生でもわかる判りやすい講義だと聴いていたのですが
多良木相良家の基礎の基礎が判っていないので、チンプンカンプン。
判った事といえば、
多良木相良家の基礎の基礎が判っていないので、チンプンカンプン。
判った事といえば、
1・多良木相良家が静岡県から下向してきた鎌倉時代は
多良木は西都市にある日向国府から一ツ瀬川から入って肥後で最も都に近い
球磨地方の玄関口だった。
多良木は西都市にある日向国府から一ツ瀬川から入って肥後で最も都に近い
球磨地方の玄関口だった。
2・初代頼景(よりかげ)の流刑説もあるが、京都に妻や家屋敷があり1年のうち多良木にはあまり居なかったと思われるので流刑説はウソである。
3・頼景の長男長頼が人吉相良家の地頭となり、その長男頼氏に多良木相良家を継がせた事から多良木相良家と人吉相良家の両家の誕生となったそうですが、鎌倉時代は一貫して多良木側が上だった。
(相良家文書の正文は多良木殿が持っている、願成寺文書を書いたのは頼氏であることから)
(相良家文書の正文は多良木殿が持っている、願成寺文書を書いたのは頼氏であることから)
などで、多良木には頼氏(上蓮)が蓮花寺を建立したそうですが、今は地名にはありますが
お寺は残っていません。供養塔もありますが、当時上蓮は出家もしていないし死んでもいないし
書かれている年号が違うのではないか?と言われていました。
お寺は残っていません。供養塔もありますが、当時上蓮は出家もしていないし死んでもいないし
書かれている年号が違うのではないか?と言われていました。
ちょっと判らない事ばっかりなので、多良木町のホームページに上相良氏物語が書いてあるので
次回までおさらいしなければ、と思っております。
http://www.taragi-machi.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=AM020000
次回までおさらいしなければ、と思っております。
http://www.taragi-machi.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=AM020000
終わって会場を出たら、夜霧に包まれていました。

(画像では霧が識別できないかもしれません・・・)
多良木相良家の頼景、長頼、頼氏(上蓮)などの時代にもこの霧を眺めていたんだなぁと
ロマンチックな気分で帰途に着きました。

(画像では霧が識別できないかもしれません・・・)
多良木相良家の頼景、長頼、頼氏(上蓮)などの時代にもこの霧を眺めていたんだなぁと
ロマンチックな気分で帰途に着きました。