土曜日は、うさぶーの塾の送迎で人吉に行きました。
SL人吉追っかけも3回めです。
今回は転車台で方向転換を見たいと思って駅裏に行きました。
転車台のある所はJRの敷地内なので、入っていいのか分からなくって
ちょうど通りかかられたハッピ姿の女性に声を掛けました。
「鉄道観光案内人」をされている高岡さんでした。
イメージ 1

転車台の所に入って良いそうですが、
「ま~だ時間がありますよ。今は飯食うたり、水ば飲んだりして休んどんなっでですね~。」と
球磨弁交じりに教えてくれました。
「あん色の黒か人(SL人吉のこと)は大正11年生まれでがまんだしなっとですよ~。」
長崎や福岡で活躍した後昭和43年に人吉に配属になり、
昭和50年に廃車で矢岳駅に展示されていたものを昭和63年にあそBOYとして復活し
人吉のイベントの時にはSL人吉号として人吉にも里帰りしていたものの
平成17年に引退していたけれど、また改修作業をして働きなるけん
本当に働き者!と感心されていました。
お父さんとお兄さんが旧国鉄マンだったから、鉄道の事はあまり詳しくは無いけれど
皆さんのお役に立てるなら、と鉄道観光案内人を引き受けました、と
ニコニコ笑顔で教えてくださいました。
私一人のために説明していただき、恐縮しながら
時間があるならちょっと駅の方にも回って見てきます、とお礼を言って別れました。

駅側のバラ園からSL人吉を写していると、移動し始めました。
イメージ 2

あれっ!これなら、転車台に載るところに間に合わない!?
焦りました!
ダッシュで踏み切りを渡り、転車台のある所の入り口まで結構な距離です。
息が切れそうになりながら、間に合いました。
先ほどの高岡さんも、間に合うか心配してましたと声を掛けてくださいました。
イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

向きがだんだんと変わっていきます。
向きを変えた後は、一度熊本側へ行ってポイントを切り換え
機関庫にいる客車と合体し、再び熊本側へ進んでまたポイントを換え
1番ホームへとバックして人吉駅に入ります。
そこまで見届けた後、西人吉駅近くの桜並木に急いで移動しました。
途中で鉄橋があり、ここを渡る時もカッコいいだろうな、と思いました。
西駅近くの龍生園の道路沿いに車を止め、陸橋フェンス越しに撮ろうかなと思っていましたが
撮影はご遠慮くださいと書いてあり
線路沿いも撮影ができそうなので、そちらで待つ事にしました。
私が来るのが早すぎたのか、着いた時は私だけでしたが徐々に見学される人も来ました。
やっと遠くで汽笛が聞こえ、近づいてくるのが見えました。
イメージ 7

イメージ 8

近くに居られた人が、お孫さんに「夏休みはあれに乗っておいで」と言ってらっしゃいました。
私も一度は乗ってゆったりと球磨川を眺めたいなぁと思いました。
やっぱり桜の時期に乗ってみたいな~。

SL人吉も行ってしまって、今週の運動もさっき走り回ったから
温泉にでも入ってうさぶーの迎えに行こうかな、とも思ったのですが
小学校の恩師のお家がこの辺だったことを思い出し、桜並木を下って散策をしました。
実は恩師のお葬式の時に一度行っただけだったので
よく覚えていなくって、どこだったかな?と分からないまま引き返すつもりでいたら
降りてすぐの所にある家に表札があり、そこだった事が分かりました。
覗いてみると、玄関が開いていて、奥様はいらっしゃるかな?と声を掛けると
しばらくして声が聞こえて、懐かしい奥様が出てこられました。
恩師のお家はかつて町内にあり、そこの音楽教室に通っていたので
奥様ともお世話になっていました。
また娘さんが私の一つ下で音楽教室の時には一緒に遊んだりしていました。
仏壇の先生にご挨拶して、奥様と昔話に花を咲かせました。
先生が亡くなられたのは平成5年の10月だったので17年忌も済ませたとのことでした。

先生に習ったのは小学3年生の時で、小学校卒業後は音楽教室も辞めたので
ずっとご無沙汰していたのですが
先生が亡くなられる年に、熊本の病院に行った帰りに高速道路のパーキングエリアで
偶然奥様と一緒の先生にお逢いしたことがありました。
今思うと、偶然にでもよくあそこで逢えたなぁ、
私に最期のお姿を見せてくれたんだなぁ、と思っています。
体育系の先生で、とっても爽やかでおもしろい先生でした。
奥様もさっぱりとした性格でした。

娘さんは人吉市内で幼稚園の先生をされていて、お婿さんが先生のお家の敷地内で
歯科技工士をされて毎日来られているとのことでした。
奥さんのお顔をちょっと拝見して帰るつもりだったのに
懐かしさから長居をしてしまいました。
SLを追いかけて、先生のお家に引き寄せられ
懐かしいお話をして、感激して帰途に着きました。