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「うさおふ」公式Blog

「うさおふ」のスタッフ(通称「うさすた」)のよるBlogです。
「うさおふ」からのお知らせやうさすたの日々の出来事などを、うさすた全員で書いていこうと思っています☆

ここぁたんのお兄ちゃんが虹の橋に行った時
虹の橋のお話を何度も何度も読み返したけど
その当時はなかった虹の橋の続き?と言う
「雨降り地区」のお話を初めて読みました。

ここぁたんは雨降り地区で
寒そうにしているかも知れない。
雨降り地区からなかなか出られなくて
「あそべないよ…」って困っちゃっているかもしれない。

 

ここぁたんがお兄ちゃんや

たくさんのお友達と再開して

いっぱい走り回って飛び跳ねたいのに

雨降り地区で「ママったらーもう」って

思わせてしまっているかもしれない。

泣いてばかりで本当にごめんね。


ママはまだここぁたんが居なくなったことを
まだきちんと受け止められなくて
ここぁたんの居た時間の中に
ぽつんと残されていて
ここぁたんが居なくなった時から
ママの中で時間が止まって

あの日に取り残されちゃったみたい。

 

ずっとここぁたんがお世話になった先生に言われた通り

楽しかった12年間の思い出を最期の悲しみで上書きしたら

ここぁたんが私と暮らしてくれた意味がない。

 

最期の悲しさより

12年近く一緒に居てくれたから

幸せな時間の方がずっと長いのだから。


いつまでもここぁたんの重荷になってはいけませんね。
ママが元気を出さないと
せっかく元気な身体で虹の橋に行ったのに
お友達やお兄ちゃんと遊べないもんね。

 

ここぁたん、寂しいよ。
でも、ここぁたんがとっても強かったように
ママも強くならなきゃね。

BlogやTwitter、Instagramにたくさんの温かいコメント、

ありがとうございます。

読んでいると涙で見えなくなってしまって

一度にお返事できませんが

私の大事なここぁたんへのメッセージなので

少しづつお返事していきたいと思っています。

 

************

 

ここぁたんをお見送りした日

小さくなったここぁたんと帰宅してから、
たくさんの「ここぁ時間」を思い知ることになりました。

おはようのナデナデ、
朝イチの抱っこと目薬、
ただいまの挨拶、
シリンジでお薬をあげていた時間、
ご飯をあげていた時間、
部屋んぽの時間、
ここぁたんのお部屋をお掃除をしていた時間、
事あるごとに話しかけていた時間。

私と二人だけで行く電車での通院デートの時、

私のパーカーの中に入って寝てしまって

キャリーに戻らなくなってそのまま往復したこと。

診察の時にパーカーの胸元からここぁたんを出して

先生にカンガルーみたいですねって笑われたこと。

 

車の通院の時

おしりを押さえて安定感を保ちつつ、

ナデナデしていないとナデナデの催促をされたり

一緒に助手席で爆睡したり…

毎日の中に普通にあったそれらの時間が

突然ぽっかり空白になってしまって、
埋められるものがないことに気付きました。

手が滑って何かを落として大きな音を出してしまった時
反射的に口走る「ここぁたん、ごめんね」、
静かに歩き、ドアも静かに開閉し、
気付けばここぁたんが居るからこその、
ここぁ仕様の生活スタイルを送っていました。
 

それだけ無意識に普通にしていたので
ここぁたんが居た毎日には

そんなことを自覚する瞬間すらありませんでした。

キッチンにはシリンジがあり、
冷蔵庫の中にはここぁたんのお水やお薬が鎮座し、
リビングには牧草やおやつのかごがあり、
書斎の入口にはここぁたん用品置き場があり、
どこもかしこもここぁたんだらけです。

大好きなフレグランスもお家を出る時だけ付けて、
香りが好きな石鹸は洗面所だけでしか使わず、
もちろんここぁたんと触れ合う時は
赤ちゃんがなめても安心なものしか付けませんでした。

うさぎ飼いさんなら当然ですが、
おネギなどを調理した後や
チョコレートを食べた後には

すぐ手を念入りに洗いました。


当然、湿度も室温も

ここぁたんが快適な状態に通年保っていました。

初代の子も入れて

13年以上そうして生きてきた私には

それが当たり前のことだったし、
とりとめもなく普通で、
もっと快適に出来ないかなといつも考えていました。

 

ここぁたんの老化に合わせて

ここぁたんの環境を変えていくのも

自尊心を大事にするか、可動範囲を残すか

最後まで本当に難題でしたが

それが生きがいだったことに気付きました。


650gの小さくて大きな存在は
私の毎日にとても自然に浸透していました。


全てはここぁたんと暮らすためのここぁ仕様の生活でした。
そんなことをいちいち自覚する度に
ものすごい喪失感を味わい、
悲しい気持ちにざぶざぶと沈んでしまうのです。

 

そんな毎日が終わってしまうなんて

分かってはいたけれど

まだまだだろうってどこかで考えないようにしていました。

ごめんね、ここぁたん。

めそめそしてごめんね、ここぁたん。

ここぁたんが大好きすぎて

まだここぁたんが居ない毎日に慣れないママを

「しょうがないなぁ、もう」って呆れながらでもいいから

もう少し見守っててね。

先日、ここぁたんが永眠いたしました。

月齢で12歳のご長寿でした。

 

5月18日、今日はここぁたんのお誕生日。

盛大にお祝いをする予定でした。

ここぁたんが居なくなるなんて考えてもいませんでした。


お誕生日を迎えられなくてごめんね、

ママがもっと何か出来れば

お誕生日を迎えられたかも知れないのに、ごめんね。

 

こじつけかもしれませんが、

きっとここぁたんにとっては、

お誕生日よりも、

私と主人二人でここぁたんの傍にいられる時間をたっぷり取れて、

二人で見送れる日を選んでくれたのかもしれません。


急変してから数日、ここぁたんが頑張ってくれたので、

私達に徐々に心の準備をさせる時間を与えてくれました。

最期を予感するかのように、

先生に伺っていたようにチェーンストークス呼吸が始まり、

もうどうしたって回復は無理で、

そこからの時間は間違いなく

最期の瞬間がどんどん近付いていました。

 

それを分かっていても、

少しでも楽になるならと投薬しようとする私に、

ここぁたんが初めて

「もう止めて。やだよ。もういいよ」

と言う意思表示をしたのは亡くなる2日前のことでした。

それまでは私の「もっと傍に居て」を受け止めて、

ずっと看護や介護を受け入れてくれたここぁたん。

そんなここぁたんの最後のわがままだったのかも知れません。

無理させてごめんね。
最期の力を振り絞って

体全体で呼吸をするここぁたんを見かねた私達が
「もういいよ、ここぁたん、

無理しないでゆっくり休んでいいよ、

そんな辛い呼吸をもう続けないでいいよ」
と言ってもしばらく小さな体全体で

一生懸命呼吸をしていました。

→ザクッと説明すると、チェーンストークスは人間と同じ本能でしているので、見た目は苦しそうだけど本人はもう苦しいという次元ではない状態、だそうです。

 

もっと傍に居たいよ。

もっとパパと遊びたいよ。

そう言ってくれているかのように、

人間なら始まってから臨終まで数時間持つのがやっと

と言うチェーンストークスを2日近く続けてくれました。

 

600gのあんな小さな身体で最期まで本当に強い子でした。

 

最期の瞬間が近づく少し前、

私の枕元で寝ていたここぁたんは

悲しい悲鳴のような大きな音の呼吸音を出して、

横でうとうとしていた私を起こしてくれました。

「苦しいね、辛いね、ここぁたん…」

私が両手でここぁたんを包んだ状態で息を引き取りました。

 

「ごめんね、ごめんね、ありがとう、ありがとう、ごめんね」

無意識にそう言ってずっと泣きながら声をかけていました。

 

ごめんねは、苦しそうに無理やりしているような

呼吸の苦しさを前に何も出来なかったこと

ありがとうはこんなに長い間私の傍に居てくれたこと

おそらくそんな気持ちでいっぱいだったのだと思います。


お別れの時間をもらって思い出の場所を少しだけ回って、

主人と私の二人でお見送りしました。

そして数時間前まで小さくてフワフワだったここぁたんは、

さらに小さくなって帰宅しました。


ごめんね、泣き虫で弱虫のママは

往復の送迎車でここぁたんが居なくなったこと、

ここぁたんの身体が亡くなってしまったことを

少しも受け入れられず、ひたすら泣いていました。

ここぁたんが居てくれたから

ママは淋しくなかったし、独りじゃなかったんだよ。
ここぁたんが居てくれたから

毎日帰るのが楽しみな毎日だったんだよ。

ここぁたんが居てくれたから

ママの毎日があったんだよ。

 

ここぁたんは私の生きる希望で、

私の命で、

私の愛の全てでした。


月齢で言えば12歳まで頑張ってくれたここぁたん。

 

ここぁたんが苦しそうに頑張ってくれた時間と並行して

10年以上ずっとお世話になっている主治医の先生から、

何回か段階を経て

終末期のうさぎさんのことを教えていただきました。

 

なので、私の手の中で迎えた最期、

半狂乱になったりせず、

果てしなく悲しかったものの、

きちんと最期のメッセージを受け取って

ありがとうを伝えて見届けることが出来ました。

 

後で主治医の先生に伺ったら、

最期を知らせる合図が出てから

ここぁたんが頑張ってくれた時間は

奇跡的なほど長い時間だったそうです。

 

主治医の先生に

 

「ここぁさんはおかあさんのところに来た瞬間から、

お互いを幸せにするために存在していたので、

悲しい記憶ばかり思い出していていは

ここぁさんは辛いと思います。

 

悲しい記憶は一瞬でそれまでの楽しい時間を忘れさせてしまいます。

だけどいつまでも悲しい記憶ばかり思い出していたら

ここぁさんは(虹の橋で元気に遊びたいのに)おかあさんが心配で

行ったり来たりさせてしまいます。

 

辛い時間ではなく

楽しい記憶で心をいっぱいにして

ここぁさんがそばに居てくれたことに感謝しましょう。

 

おかあさんはここぁさんのお薬を調合したり

強制給餌や洗腸をしたりと本当に頑張ったじゃないですか。

その結果が12年近く生きてくれたことで

それは本当にすごいことなんですよ。

 

何度も言ったと思いますが、

うさぎさんは野生では3年前後で捕食されることが多いです。

だから身体も臓器もそのくらいもつように出来ています。

 

最近10歳を超える子が多いから

皆さん当たり前のように思ったり勘違いしていますが、

6歳だって身体の限界の倍、

10歳なんて3倍以上限界を超えているんですからね。

 

うさぎさんからしたら

本人の気力と体力と

環境(人間の治療も含めた生活環境)が

見事にマッチしたからこその大往生なんですよ」

 

と言ってくださいました。

 

休み明けに病状を伝えるとお約束した日、

亡くなった翌日だったのでとてもお話できる状況ではなく

失礼を承知でFAXで永眠したことと今までのお礼を伝えました。

 

すると少ししてから先生からご連絡いただき

 

「二人は二人で一つだったからよかったです。

ずっと見てきて、本当に二人は二人で1つと言うくらい

一心同体でお互いを必要としている二人だったので、

病院に入院中とかじゃなくて本当によかったです。

お家でお母さんに看取られて彼も幸せだったと思います」

 

と言ってくださいました。

 

もう先生に御礼も言えないほど泣き崩れてしまいました。

この先生がいらしたから

ここぁたんは今まで生きることができたのだと改めて確信し、

ずっと感謝しかありません。

 

主治医のその先生と

うさこんちのうさこ母さまがいらっしゃらなければ

うさぎさんとの共同生活が出来ないだろうと本気で思っています。

 

住み慣れた自宅で、

私の手に最期の力を感じさせてくれたここぁたん、

最期まで私を想ってくれる本当に強くて優しい子でした。


私が辛い時も幸せな時もずっと傍に居てくれて、

可愛い姿でずっと私を癒やしてくれました。

 

とっても小さなここぁたんは

私の中で私より大切で大きな存在でした。

 

今日はここぁたんの12歳のお誕生日です。

ここぁたんの身体と迎えられなかったのは淋しいですが、

お兄ちゃんと同じで(悲しいだけの命日よりも)、

ここぁたんもお誕生日の方を大事にしたいから

今日はたっぷり大好きなフルーツを食べようね。

生まれてきてくれたから出会えたから。

ここぁたん、生まれてきてくれてありがとう。

 

私の大好きな大事な大切なここぁたん。

本当に長い間傍に居てくれてありがとう。

 

もう痛くないね。

もう辛くないね。

もう嫌いなお薬飲まなくていいからね。

大好きなバナナをたくさん食べようね。

お兄ちゃんやお友達と

虹の橋で元気に遊びながらママを待っていてね。

会う予定が近かったお友達などにだけ取り急ぎ事情をお話したら、

お花や果物をいただきました。

 

嬉しいね、ここぁたん。

お気遣いくださった皆様、ありがとうございました。

 

nika