孫への手紙 09


2023年12月19日(爺56歳)


ヘムライブラだけではだめだというお話、


静脈注射は、皮下注射に比べると、技術的にも時間的にも、そこそこ面倒なものです。
皮下注射だけで済むなら、あえて静脈注射の手技まで覚えなくてもいいのでは・・・と思いたくなることも分からなくもないです。

「特定の相手から愛される人間になる」

この目標の大切さから話しましょう。

よく、異性に対して、好意を持たれるようなことを、意図的に計算してやる人を、「あざとい」と卑下するする人がいます。

「意図的に・・・計算している・・・」
この辺りが、おそらく人間的に嫌がられる理由になっているのではないでしょうか。

こういった感情を何故抱くかといえば、自分が愛されたいと思っている相手を別な人が自分より有効な方法で口説こうとしているから・・・・ということではないのでしょうか、

どうでもいい相手であれば、どんな風に他人からアプローチされていたとしても何の感情も持ちません。

分かりやすく言えば、「嫉妬」の正当化です。
結果的に、自分が相手にされなければ、
「あざとい」と非難したところで、自分を慰めるための悲しい言葉にしかなりえません。

日本人は、ストレートに自分の感情を伝えることを苦手としている人がとても多いです。
どうにか自分の想いを相手に伝えようと、様々なことをします。
あからさまな行為は露骨すぎてどうなんだろうかと思う人も多いでしょう。

しかし、以前にも書きましたが、日本社会における恋愛は、競争です。

のんびり時間をかけて相手に気持ちを伝えるということをやっている最中に、他の人と恋愛関係になってしまい、深い関りを持てなくなってしまうことは珍しくありません。

愛される人間になれなければ、結果的に独りで生きていくしかなくなります。
そんな人生、好き好んで選ぶ必要があるとも思えません。

※もちろん、人それぞれなので、どういう生き方を選ぶのかは自由です。
爺は、一人でいることの楽しさも知っていますが、一緒に居てくれる相手がいない前提での一人ではありません。
あえて一人を選ぶというのであれば、それはそれでいいのです。

そろそろ注射の話を始めましょうか。

好きになった相手と、ずっと一緒に楽しく生きていくためには、

相手の趣味ややりたいことに付いていける状態で居ることが大切です。

やるかやらないかは別として、「できない」という状態は情けないです。

男女の関係だけを望むなら、単に男と女というだけで恋愛関係を維持することもできるでしょう。

しかし、恋愛の相手として欲しいのは、異性であればどうでもいいという相手ではないのです。
友人としても付き合っていけるような、人としての深いつながりを持って一緒に生きて行けるような相手です。


同じ趣味を共に楽しんでいけるなら、共有できる幸福が一つ獲得できたことになります。

相手が、スポーツ好きであっても、Ⅷ因子製剤をしっかり使えれば、一緒に楽しむことも可能になってきます。
この場合は、自分で注射が打てなくても、持続型のⅧ因子製剤を病院で打ってもらうということも可能でしょう。

相手が、登山や、旅行好きの場合はどうでしょうか。
特に、登山などの場合は、山の上で何が起こるか分かりませんので、自分で製剤を使用できなければどうにもなりません。

人を好きになることって、いつどんな時に起こるか分かりません。
どんな人を好きになるかもわかりませんし、好きになった人がどんな人なのかもわからないことだってあります。

それから準備しても間に合わなくはないですが、技術的に自分でできるような年齢に到達したなら、克服してしまっていた方が楽ですよね。

ヘムライブラは、大人しく生活しているにはそれなりに効果があって、とても使いやすい薬ではあるのですが、怪我をしたり、激しい運動をしたりということには対応できません。

自分の人生を自分でコントロールするには、現時点では静脈注射を自分で使えるようにしておくということは、とても大切なことになります。

「愛される人間」になるためには、
自立した大人になる必要があるのです。

Ⅷ因子製剤をいつでも使える=自分の面倒を自分で見ることができる。

血友病と共に生きる人間にとっては、最低限のスキルですよね。

病気の克服だけではなく、社会的にあらゆるスキルを身に着け、一定のことは意識しなくてもこなせるようになっていることが望ましいです。

「愛される人間になる」ということは、「他人を愛せる人間になる」ということでもあるのです。

お互いが自立したもの同士でなければ、相手を尊重しながら生きていくということなど出来るわけがありません。


次回は10枚目の区切りになりますね、
夫婦と子どもについて話します。