※この投稿は、8月9日にいったん公開したのですが、センシティブな内容なので、少し書き直して掲載することにしました。
8月6日は広島に原爆が投下された日、8月9日は長崎に原爆が投下された日で、それぞれの日にそれぞれの地で平和祈念式典がおこなわれました。81年が過ぎてもその悲惨さが和らぐわけではありませんし、いまなお核兵器のない世界は実現されていません。この日に平和を祈念し、あらためて人類と核兵器について考えるこの日の式典には大きな意義があります。
その一方で、私には以前から疑問を感じていることがありました。それは子どもをスピーチなどで、式典の前面に出すことについてです。長崎の式典では小学生や高校生の出番は合唱でしたが、広島の式典では2人の小学生がマイクの前に立ち、スピーチをおこないました。下記の青字部分はその全文です(小学生の氏名は省きました)。なぜ小学生を式典の前面に立たせるのでしょうか。
広島市では、全小学生にスピーチ原稿を書かせ、そこから選ばれた子どもと原稿を書き直してスピーチ原稿を仕上げていく、という書き込みを読みました。それが事実であれば、平和教育への取り組みとして理解はできます。ただし、後のの文章を読めば、この文章を小学生が自分たちだけで書いたものとはとても思えません。かなり大人の手が入っているのだろうなと感じます。また、大人はこういうことを書いてほしいんだろうなあ、という子どもに忖度をさせる土壌にもなります。そもそも、誰がどういう基準で、子どものスピーチ原稿に優劣をつけたり、子どもを選んだり、その原稿を書き直したりするのでしょうか。私は文章にかかわる人間として、こうした過程に疑問を感じます。
たとえば、高校生の希望者を募ってグループを作り、核兵器や平和についてのディスカッションをさせ、そのグループの責任で(大人ができるだけ介入せずに)意見を発信させる、といった試みならば十分に理解できますし、その意義を感じます。しかし、大人が小学生の原稿を選別したり、大人の意見をそこに反映させて小学生に読ませたりすることには、私は以前から疑問を持っていました。長崎の式典と広島の式典を比較して、私はその違いを素通りすることができませんでした。
「平和へのちかい」
もしも「大切なもの」が一瞬で消えてしまったら、どんな気持ちになるのでしょうか。私たちが笑い合っているときにも、尊い命が失われている現状があります。今もどこかで平和な日常がうばわれています。ぼろぼろになって制服、黒く焦げたお弁当箱。それは当たり前の毎日を生きていた証です。
昭和20年、1945年8月6日午前8時15分、たった一発の原子爆弾が人々の暮らしを人生を地獄に変えました。髪は焼けちぢれ、全身の火ぶくれが破れ、火傷した皮膚が垂れ下がった人々。
「痛いよ苦しいよ」「助けてお母さん」
「死にたくない」「助けてあげられなくてごめん」
死んでしまうつらさ、生き続ける苦しみは、想像することさえ恐ろしいことです。
私たちには被爆体験を直接聴くことができる最後の世代として当時の記憶を事実として受け止める使命があります。目をそらさず知ろうとすること、悲しい現実でも向き合うこと。そこには「生きたかった人々」「生き続けた人々」の思いがあります。
私たちには広島のこどもとして行動する責任があります。相手の気持ちを想像し、意見の違いがあっても認め、受け止めること。平和への思いを自分なりの方法で表現すること。一人一人の小さな行動が平和への後押しとなります。平和とは誰かからあたえられるものではなく、世界中の人びとで創り上げるものです。
こどもである私たちもその一員として平和への一歩を踏み出します。かけがえのない「大切なもの」を確かな希望を、未来へ届けるために。
令和8年、2026年8月6日
こども代表
広島市立高須小学校6年 〇〇〇〇
広島市立高南小学校6年 〇〇〇〇
※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけていますが、今回は8月6日と8月9日を見届けてからの発信のため、8月9日(日)の更新となりました。


