渋谷の西武百貨店が9月末日をもって閉店しました。今年は、1月に高島屋堺店(堺市)、2月に名鉄百貨店本店(名古屋市)が閉店していて、百貨店(デパート)の減少が続いています。

 私個人は、若い頃からデパートをあまり利用しませんでした。衣服も家具も電化製品も、デパートで購入することはありませんでした。ちなみに衣服の場合、スーツ類は専門店で作りますし、普段着はデパートよりカジュアルな、いわゆるスーパーマーケットのような店で選びます。そういうデパート無縁な人間ですが、それでもデパートの思い出はいくつかあります。

 私が子供の頃、たとえば小学校低学年時代(1960年代)は、デパートに連れて行ってもらうのが楽しみの一つでした。しかし、実際は行っても楽しいことはほとんどなく、母親の買い物につきあうだけで飽きてしまうのが常でした。デパートが実際に楽しい場所だったのではなく、どこかに連れて行ってもらうこと自体が稀だったのだろうと思います。

 

1960年代の丸物百貨店(豊橋市)

 

 私は1960年代前半を愛知県豊川市で育ちました。小さな市である豊川市内にはデパートがありませんでしたので、隣町の豊橋市の丸物百貨店(1950年開店、1997年閉店)というデパートにときどき連れて行ってもらいました。そして、母親の買い物に飽きてしまい、ガラス越しに回転焼きの出来ていくようすを見ていたものでした。ちなみに、当時の丸物デパートでは、回転焼きに「物」という焼き印が押されていたと記憶しています。完全自動だったか、人間が少しかかわっていたかは覚えていませんが、ガラス越しにその菓子の製造過程が見られたので、それを眺めて退屈をしのいでいたように思います。

 

丸光百貨店のあった建物の現在(仙台市)

 

 私はその後、愛知県豊川市から宮城県仙台市に転居しました。仙台といえば、駅前の一等地に丸光百貨店(1950年開店、1997年閉店)というデパートがあり、仙台の有名店でした。東北の他県にもチェーン店のある大きなデパート企業でした。しかし、丸光百貨店も現在はありません。仙台市内では三越がまだあるのと、藤崎という地元百貨店がまだ継続しています。藤崎百貨店は、仙台一の繁華街である一番町通りと、仙台駅から続くアーケード街の交差点にあり、どこで買い物をしても藤崎は通るという好立地にあります。先に書いたように、私自身はデパートをあまり利用しない人間で、丸光も三越も藤崎もあまり行きませんでした。それでも、藤崎デパートには一つだけ思い出があります。

藤崎百貨店(仙台市)

 

 高校生のとき陸上部に所属して、いろいろな種目を試みていた私は、途中から110mハードルに重点を置くようになりました。その頃、私の通う仙台一高陸上部OBに庄司豪さんというOBがいて、よく陸上部の面倒を見てくれていました(庄司さんは東北放送だったかの社員で、よく取材がてら街に出ていました)。その庄司さんが、私のために仙台一高OBのハードル選手を臨時コーチに連れてきてくれたことがありました。かつてインターハイでも活躍した名ハードラーのOBは、当時40歳代くらいだったと思いますが、宮城県営競技場のサブトラックで、実際に見事なハードリングを私に見せてくれました。そのOBが藤崎デパートの社員さんだったのです。平日に母校のコーチに来てくれるような自由のきく人なので、かなり偉い立場の社員さんだったのかもしれません。

 デパートについてはそんな思い出くらいしかありませんが、それでもまだ藤崎が頑張ってくれているのは嬉しい気持ちです。逆に、丸光が無くなってしまったのは残念に思います。時代の流れとはいえ、渋谷の西武百貨店ですら無くなると聞いて、やはり寂しい気がわいてきました。

 

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 今日9月26日(土)に、標記の研究発表会がおこなわれました。中央大学国文学専攻の教員・大学院生・学部学生などで組織している学会の研究発表会で、主として修士論文に取り組んでいる大学院生が発表者となるのが会の慣例です。今年は9名の大学院生が発表をしました。プログラムは下記の通りです。

 文学系の研究とは、最終的には個人で取り組むものなのかもしれませんが、その過程では、他者の協力を受けた方が前進することがあります。今回のような機会を活用し、周囲からの有益な助言を得て、それぞれの発表者が研究の成果に結びつけていってほしいと願っています。

 

第一部 
 イ落ち型形容詞文の文末音調
           北林 美輝人 (博士前期課程)
 『古今集』における「東風解凍」と「涼風至」
           顧 馨雲 (博士前期課程)
 1980年代以降の宮沢賢治作品の絵本化について
  ―伊勢英子を中心に
           土田 健人 (博士前期課程)
第二部 
 谷崎潤一郎〈古典回帰〉における〈中国要素〉について
  ―『細雪』を中心に
           羅 宏涛 (博士前期課程)
 谷崎潤一郎文学における男性の語り
           張 欣怡 (博士前期課程)
 国語教材としての安部公房
           西田 陸朗 (博士前期課程)
第三部 
 〈電車〉表象における〈人〉と〈事故〉要素の交錯
           倪 天諾 (博士前期課程)
 『推し、燃ゆ』における主人公と「推し」との関係性
  ―宇佐見りん作品およびアイドル小説との比較を通して
           相 雪珂 (博士前期課程)
 『サイレントシンガー』における多重空間
           ヴァーミリオン ノエル (博士前期課程)

 

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 女優の中村ゆりさんが44歳という若さで、癌のために亡くなりました。

 中村さんといえば、日本生命のコマーシャルで、癌の診断を受けた母親の役を演じていました。幼い娘(訂正⇒幼い息子)のためにも、病と闘おうとする母親役で、その役を演じた中村さんが癌のために早逝するのは、残念な因縁としかいいようがありません。

  

 中村さんが最後に主要な役を演じたのは『終幕のロンド』(2025年、関西テレビ)で、大会社専務の妻ながら、幸せの薄い孤独な絵本作家を演じていました。私のとって、中村さんが特に好きな女優さんだったというわけではありませんが、中村さんは後々まで印象に残る役を多く演じてきたと思います。私が特に印象深いのは、浅香航大とダブル主演した『今夜はコの字で』です。

  

 中村さんは印象深い脇役を演じることが多いのですが、この作品で、37歳にして民放連続ドラマ初主演(浅香航大とのW主演)を果たしました。第1、第2シリーズと続いたこの作品の全24回を通し、いつもの役柄とは少し異なり、酒好きで社交的で大阪弁で、きっぷのいい料理研究家を演じていました。後輩の浅香に憧れられる元気な先輩役は、いつもの中村のイメージとはやや異なる強い印象を残しました。

 

 惜しい女優さんを亡くしました。ご冥福をお祈りいたします。

 

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※日本生命のCMのことでご指摘をいただきました。「幼い娘」⇒「幼い息子」と訂正します。ご指摘ありがとうございました。

 私が担当している中央大学佐美ゼミの夏合宿に行ってきました。「ゼミ」という語の意味は、大学によって、学部・学科によってさまざまです。ゼミで合宿をするかどうかもさまざまです。ただし、私のゼミ(国文学専攻3、4年生の2年連続必修科目)では、もう30年近くにわたって夏の2泊3日合宿を実施してきました。

 目的は2つ。学生の発表や討議の時間を確保すること、学生同士の親睦を深めること、の2つです。ゼミといえば少人数の演習科目ですが、私のゼミは毎年人数が多く、今年も33人が履修しています。小中学校の1クラス人数ですので、通常の授業時間だけでは、学生の研究発表やその検討時間が十分にはとれません。また、通常は週1コマだけの授業ですが、2泊3日の時間を共有することで、一緒にレクリエーションや食事も楽しみ、結びつきを強めます。写真のようなバレーボール大会も、私のゼミの恒例行事です。

 学生の声を聞くと、「ゼミの一番の思い出は合宿」「合宿ではじめて他のゼミ生と仲良くなれた」という反応が、毎年多く返ってきます。ゼミ選択のときから、私のゼミは「自分の研究だけに閉じるのではなく、他のゼミ生の研究にも関心を持ち、一緒に学ぶ姿勢を重視します。」ということをゼミの特徴として掲げています。

 私も高齢者となり、学生と3日間一緒に過ごすのはしんどい面もあります。しかし、勉強もレクリエーションも、準備も後かたづけも、あらゆるところで学生たちの真摯な姿勢に接することができました。「教師冥利に尽きる」ということはこういうことかもしれません。学生たちのおかげで、今年もいい時間を持たせてもらいました。

 

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 フェルメール「真珠の耳飾りの少女」が日本に来て公開されていますが、見たい人が多すぎて、見るのはなかなたいへんなようです。

 フェルメールといえば、20年ほど前にかなりのブームになりました。たとえば、2003年には映画『真珠の耳飾りの少女』(イギリス・ルクセンブルク合作)が公開され、2006年には『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書)のようなヴィジュアル新書本がヒットしました。私も世間に流されたというのか、フェルメールにはとてもひかれました。当時わりと海外に出かけることが多かったので、フェルメールの地元であるオランダのハーグやアムステルダムだけではなく、ロンドン、エディンバラ、ダブリン、パリ、ベルリン、ワシントン、ニューヨークなどを訪れるたびに、フェルメールの原画を見に行っていました。

 『真珠の耳飾りの少女』は、2004年にオランダのマウリッツハイス美術館で見ました。日本で見るのと違ってほとんど貸切状態。しかも、すぐ近くまで寄って見ることができました。写真も撮れました。しかし、当然ながら館内はフラッシュは禁止。当時はカメラの機能もあまり進んでいなくて(というよりカメラ撮影の知識を私が持っていなくて)、フラッシュなしの撮影だとこんなふうにピンボケ写真になってしまいました。それでも私にとっては、自分の好きな絵を間近で見られた大切な思い出です。

 他にも多くのフェルメール作品を見ましたが、ひとつ印象深い作品をあげるなら、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)の少女画でしょうか。『真珠の耳飾りの少女』に比べればお世辞にも美しいとはいえない少女の絵で、とても人気のある作品とはいえません。しかし、実物を見たら、その美しさと鮮やかさに息をのみました。写真で見るのと実物を見るのとで、これほどまでに印象の違う作品というのはめったにありませんでした。

 

 フェルメール『真珠の耳飾りの少女』が日本にやってきたことで、過去の自分の記憶を呼び起こす機会となりました。

 

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