長年通い続け、このブログに何度も書いている小林浩一シェフの料理をいただいてきました。今小林シェフの料理を食べられるお店は、大田区蒲田にあるフレンチ&ワインバー『マルス・ファンタスティカです。最初の突き出しから、信じられないような丁寧に手のかかった料理がふるまわれました。メイン料理がすばらしく美味しいのはいつものことですが、その前の2皿の工夫と手のかかり方が尋常ではありません。メイン並みの料理を4皿いただくような満足感を味わいました。鱧(ハモ)やソラマメなど季節感あふれる食材も多く使われ、何度通っても毎回新しい味わいを楽しませていただきました。

 

茄子と里芋のジンジャー風味 ハモ・ウニ・カニ・アワビを乗せて

 

ジビエ(鹿・猪・鴨)のテリーヌとフォアグラ・トランペット茸のテリーヌ アスパラソバージュ添え

 

そら豆とアサリのポタージュ

 

糸ヨリのソテー ベルモット酒のクリームソース

 

熊本牛のステーキと牛ホホ肉の赤ワイン煮

 

デザート(バスクチーズケーキ・ガトーショコラ・抹茶とホワイトチョコのケーキ・苺)とコーヒー

 

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけています。

 

 

 『今夜、秘密のキッチンで』の初回だけを見たときに、私は次のような感想を書きました。

 

「さあ女性の皆さん、この作品で癒されてください」というメッセージが前面に出すぎて、私はちょっと引いてしまいましたが、本当に癒されるならそれは幸せだろうと思います。(4月11日本ブログより)

 

 ちょっと意地悪な感想を私は書きました。だから、初回だけ見て、あとは見るのをやめようかとも思いました。しかし、「もう少しだけ見てみようか」とも思い直し、いわゆる「ながら視聴」で仕事しながらみたところ、第7回の今週まで見続けています。家庭でつらい思いをするあゆみと、昏睡状態から幽霊のようにあらわれるKeiとの関係を、いつの間にか応援したくなっていました。

 また、この作品にはサイドストーリーも描かれます。父娘二人だけで暮らしてきた林太郎と娘の小春。しかし、娘の二十歳の誕生日の朝に親子喧嘩をしたまま、林太郎は交通事故死してしまいます。この話のために本線が進まないような面もあるのですが、それでも見ているうちに、林太郎と娘を一緒に見守りたい気持ちが湧いてきてしまいました。

 初回の印象から変化して、毎週この作品を欠かさずに見ています。なんだかじわじわと浸みてきました。今やすっかり、この作品世界に説得されてしまったようです。

 

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけています。

 今週は気分を変えて、昔の歌謡曲のことを書きます。

 年をとるにしたがって、「俗」なものに惹かれるようになってきました。その代表が「寅さん」の『男はつらいよ』シリーズです。若い頃は通俗映画の代表のように思っていましたが、年齢とともにその価値を再認識するようになりました。また、昔の歌謡曲にも惹かれることが多くなってきました。特に阿久悠となかにし礼の詞には、「俗」を超えたインパクトを感じることが多くなりました。

 そんな中で、伊藤咲子『木枯しの二人』(1974年)という歌謡曲のことがふと気になりました。毒のある阿久悠の詞の中では、信じられないほどの初々しい歌詞です。「家を出た二人を木枯らしが追いかけ、若過ぎる恋だと 悲しみを与える」とか、「もっと強く抱きしめてよ奪われないように」とか、清純派歌手だった伊藤咲子のために、阿久悠が特に用意した歌詞なのだろうと思います。三木たかしの曲も、ペギー葉山『学生時代』や舟木一夫『高校三年生』を思わせるセンチメンタルなメロディで、古き良き時代の歌謡曲そのものといえます。

 ところが、近頃DAMのカラオケ映像を見たところ、これがトンデモナイ代物でした。なんと中年男女がホテルでベッドインする映像なのです。これはひどいな!カラオケ映像というのはほとんど使い回しで、違う曲に同じ映像が何度も使われることもよくあります。たとえば、中島みゆきの曲には、どの曲にも同じ人物の同じ映像が流れてきます。低予算で制作された映像なので、私もそんなに目くじら立てるつもりはありませんが、ここまで曲のイメージに合わない映像は初めて見ました。制作者は、伊藤咲子と阿久悠に謝れ!

 今週は気分を変えて、昔の歌謡曲の話でした。

 

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけています。

 

  

 

 少し前にNHK衛星放送で『流浪雲』を放送していました。原作は言わずと知れたジョージ秋山の同名漫画作品。実は1978年、1990年にもテレビドラマ化されていて、今回の2026年版が3度目のテレビドラマ化です。主演は順に、渡哲也(1978年)、ビートたけし(1990年)、佐々木蔵之介(2026年)です。

 私が大学生だった1978年に放送された渡哲也版は、よく覚えています。なにより渡哲也といえば「渋い二枚目俳優」の代表。その渡哲也が女着物を着た遊び人を演じるということで、当時大きな驚きを感じました。今回の佐々木蔵之介も二枚目俳優ではありますが、佐々木は放送時57歳。雲を演じた当時の渡哲也は36歳。女好きの遊び人を演じるには渡の年齢が適していたように思えます。佐々木の演じる雲も悪くないのですが、「色気のある男盛り」というよりは「いい年してだらしないおじ(い)さん」に見えてしまうのは少し残念なところでした。

 1978年版と2026年版の違いは主演俳優だけではありません。1978年といえば昭和の真っただ中。「ゆとり教育」とか「多様性の尊重」とかが唱えられる前の時代です。そんな時代だからこそ、雲という男のだらしなさは時代への反措定としての意味を持ちました。「男は男らしく」「父親は父親らしく」「頭(かしら)は頭らしく」が求められている時代だったからこそ、自由人である雲に重要な存在意義があったように思われます。今あらためて見た『流浪雲』はそれなりに魅力的ですが、時代にマッチしすぎて逆にインパクトが感じられませんでした。雲は昭和の時代にいてこそ、大きな意味がある主人公だったのかもしれません。

 

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけています。

 

 

 このところずっとテレビドラマ(春ドラマ)のことを書いてきたので、今日は井上尚弥vs中谷潤人戦にちなんで、ボクシングのことを書きます。

 これまであまり書いてきませんでしたが、私はボクシングのファンです。スポーツや囲碁将棋などのあらゆる勝負ごとが好きですが、中でもボクシングは特別な競技だと思っています。通常のスポーツでは競技者の安全が重視され、「脳震盪」などを起こさないように十分な注意がなされています。にもかかわらず、ボクシングとは「あごやこめかみに打撃を加えて意識的に相手に脳震盪を起こさせる競技」という一面を持っています。なんと恐ろしい競技なのでしょうか。それだけに、そんな競技に挑戦し、そこで厳しい鍛錬をして頂点に上る選手たちに、最大限の敬意を私は持っています。この「競技としての恐ろしさと尊敬の念」というのはボクシングの一つ目のアンビバレンスです。

 もう一つのアンビバレンスは、ボクシングの興行をめぐってです。恐ろしいほどの競技のストイックさとは正反対に、ボクシングの興行には不透明な部分がつきまといます。まずは、世界タイトル戦をおこなう組織が4団体もあるということ。それぞれが世界チャンピオンを立てて興行をおこなっているという、実に不思議な、およそまともな競技とはいえないことをしているのがボクシングの世界です。しかも、その体重分けは年々細分化されてきました。以前の7~8階級制は遠い昔のこと。今はそれぞれの階級に「ジュニア〇〇級」「スーパー〇〇級」などを新設して、とにかく世界チャンピオンを増やし続けています。もはや世界チャンピオンの水増し、粗製乱造もいいところです。というわけで、私はボクシング競技者には深い敬意を持っていますが、ボクシングの組織や興行のあり方には大きな疑念を持ち続けています。

 さらにいえば、以前の亀田ファミリーのように、マッチメイクの不透明さ、不公正さはひどいものでした。できるだけ弱い相手だけを選んで対戦を組み、世界タイトル戦を維持し続けるという悪質な興行が横行していました。判定への信頼もまったくありませんでした。これはもうボクシングへの冒涜だと私は思っています。

 それに比べると、今日これから行われる井上尚弥vs中谷潤人戦はその正反対です。強い相手と闘い、勝ってさらにまた強い相手と対戦を組む。その究極のマッチメイクが今回の対戦であり、32戦全勝同士の夢の対戦です。ファイトマネーは日本ボクシング史上最高額(しかも段違いな高額)だそうですが、それにふさわしい対戦であることは間違いありません。私はボクシングに敬意と疑念の両方を持ち続けてきましたが、今日の対戦が敬意と興奮と感動だけを残してほしいと心から願っています。

 

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけています。