
映画『五十年目の俺たちの旅』を見てきました。少し前の話ですが、見た場所は吉祥寺の映画館。吉祥寺はテレビドラマ『俺たちの旅』(1975~1976年放送)のメイン舞台になった場所で、映画館には「聖地・吉祥寺」と書かれた主演3人のパネルが飾られていました。私はドラマ研究者、フィクション研究者ですが、今回ばかりは研究視点は外したい気がします。あのドラマの50年後が描かれた…それだけで十分嬉しく思います。
ちなみに、映画の脚本は、本編シリーズでもメイン脚本を担当した鎌田敏夫でした。映画の脚本も、引き続き88歳になった鎌田敏夫が書いたことを、私は嬉しく思います。鎌田の脚本に不満はあります。価値観が古いと思うこともあります。それでも、本編でメイン脚本家だった鎌田が作品世界の50年後を書くなら、それはそれで受け入れようと思えます。
ドラマは架空の世界ですが、しかし、架空の世界とわかっていてもそれだけとは割り切れません。まるで生きている人物たちであるかのように、いや生きている人物たち以上に、その人物たちを見守りたいという気持ちが強く湧いてくることがあります。そう思わせてくれるドラマの一つがこの『俺たちの旅』でした。
『俺たちの旅』は本編シリーズの他に、10年後、20年後、30年後のスペシャル版が放送されました。カースケ(中村雅俊)が外国を飛び回って派手に活躍していたり、オメダ(田中健)が妻の実家の地域で市長になっていたりと、私には不自然に思える展開が多々ありました。それでも、この50年後を見て、その不自然もありだったなと思えました。カースケは結局町工場の熱血社長になっていましたし、オメダは市長から知事にも手が届くのにそれを捨ててかつて住んだ思い出の家に戻ります。50年後にそこにたどり着くなら、それまでのあちこちは許せる気持ちになりました。
特にオメダ。心やさしいけど気の弱いオメダが市長になるのは、いくら妻の実家の地盤を継いだからといっても、自然な展開とは思えませんでした。しかし、人生の終りが近づいてきたときに、地位や名誉を捨ててでもかつて住んでいた家、亡き母親と妹と暮らした思い出の家に戻ることを選ぶというのは、いかにもオメダらしい選択といえます。
そう考えてみると、『俺たちの旅』本編以降の主役はオメダだったのではないかという気がします。「人生は楽しいものだ」といつも堂々と主張するカースケよりも、50年間一貫してグズなのに女性にもてるグズ六(秋野太作)よりも、常に迷いながら、ためらいながら、時には引きこもったり家出したりしたりするオメダに、この作品らしさがより多く詰まっているように感じました。
この『五十年目の俺たちの旅』という映画。作品としては、序盤のサスペンス調の要素やカースケの工場の話が、作品内で回収されず、十分には活かされていないような気がしました。過去の映像が整理されないままに挿入されすぎているようにも感じました。いくつか不満はありますが、そんなことはとりあえず横に置いておきましょう。またこの世界に戻って来られた。それで十分ではないでしょうか。
追記
私は『俺たちの旅 十年目の再会』でオメダと短期間暮らした女性(永島暎子)とその子・克史の印象が強く残っていました。この母子は『俺たちの旅 三十年目の運命』で再登場し、その時克史は難病で長期入院中でした。オメダは市長選挙への悪影響を懸念する周囲の意見を振り払い、母子を援助します。その克史が『五十年目の俺たちの旅』に再々登場しました。まだ映画を見ていない方のために内容は伏せますが、私はその場面が『五十年目の俺たちの旅』でもっとも印象に残る場面でした。
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