オトン、オカンがモントリオールへ来るかなぁ?

コネチカットへ行くのかなぁ?

と思っていたら、コネチカットへ行く、と。


コネチカットにはオトンの一族が沢山居る、掃いて捨てる程。

それに比べてオカンは1人ボッチだった。

それが、福一原発同時爆発で急に甥っ子の子・姪っ子の子達が東海岸へドドッとやって来て住み着いた。私の日本の祖父の肝煎りだった。その後、ダラダラと一族郎党がやってきて住み着いたらしい。遂に、祖父以外、全員来た。祖父は独り残り、直の一族だけではなく本家の一族もアメリカへ送り出したいと言っていた。私は、この祖父には 2007 年正月に母に連れられて挨拶に行った。その後、祖父は97歳で逝った。最期まで惚けず衰えず普通に暮らして瞬時に逝った、と聞いた。オカンの父系は長生き❣️  その後、本家の一族の長老爺3が未だ若かった(70歳くらい?)のでお妾さんのうちの御気に入り2人を連れてアメリカ見物に来たらしい。アホらしい。🤣 ところがG3、孫の居るバルチモアに居着いた。その後、バルチモアと名古屋を行き来して、日本の資産を全部処分して孫達だけに配った。バルチモアに別宅、フィラデルフィアに本宅を構えた。2010年代の後半。その後、本家の一族全員も移民完了。私とオトンはオカンに連れられて、フィラデルフィアに挨拶に行った。年賀と言うらしい。アッと驚く大規模邸宅だった。連れの家よりデカい。本家のG3は、私の母方の祖父にソックリだった。オカンに教わった通り「御本家様、〇〇家の 00子でござゃーます」と挨拶した。すると「まぁ、固ゃー事言わずに、もっと寄ってりゃー。顔見せてちょ。べっびんさんで良かったなぁ!」と言われた。😁  コテコテの名古屋弁やんけ! 

という訳で、オカンも沢山の一族郎党を国内の東海岸に持つ事になった。オトンの親族はコネチカット州に密集、連れの一族はケベック州に密集。お互い、子供達が夏に滞在する場所には困らない訳だ。


とはいえ、実家のオトンとオカンはマサチューセッツ⇄コネチカット枢軸。私の家族は今年の夏はモントリオールで過ごす事にしたが、来年以降毎年夏はボストンで過ごすとなると、私のコンパクトな5BRの家は狭過ぎる。私1人か連れと私の2人だけで過ごすなら良いが。オトンにもう一寸大きな家に買い替えてくれと頼んでおこう。


今夏は、私の母方の一族の系図(コピー)に写真を付け加えようと思う。男達の顔が良い❣️  洋装で刀を左手に持ち、キリッ✨❣️  オトンの方の系図も再版する。gym 部屋ばかりに居るとヘトヘトになるので、ラップトップで系図のエディット。仕事はデスクトップ。時々、双子を見に行くと殆ど寝ている。仏語乳母と英語乳母が張り付いている。もう1人子供を産んだら、ドイツ語乳母になる。お義父さんがドイツ系だから。オトン故では無い。もう2人だったら、日本語乳母かしら? さぁ、トットと稼いで資産を増やそう。我が身、我が子等、我が孫達、我が子孫の為。💪   気分は日本の戦国平侍。🔥 

オトンからは十字軍に従軍した先祖達の話を聞いている。WWII で、我が子・我が孫をアメリカへ移住させ自分達世代だけは熱愛する祖国ドイツに殉ずるとドイツに居残った曽祖父母の事を聞いている。オトンはこの曾祖父母(⇦私の。オトンの祖父母)が大好きで、しょっちゅうドイツに帰っていた。若き日のオトンは、アマチュア歌劇団を組んでドイツ・オーストリア・イタリアを中心に回って拍手👏喝采を浴びていたそうだ。曾祖父母は我が子・我が孫達をアメリカに逃した時に財産を与え、その後も暫くは贈り続けた。安定後、この曾祖父母は孫達の中でただ独りの孫=私のオトンを選んで全資産を与え、残した。オトンは私の誕生後、少しずつ私に贈与。今年からは双子に1つづつ、だそうだ。⇦ 私を飛び越えるようになった。私も、孫が出来たら、我が子を飛び越してやるw! 😅 子供を産むって、本当に親孝行だね!