オカンは私に日本語を教えなかった。だから、私が日本語で答えたら、最初、吃驚コイテいた。🤣 オカンが電話で日本人の友達や生徒の父兄(特に日本人のお母さん)と日本語で喋っていたから、私は自然に日本語を覚えた。ドイツ語と同じだ。オトンも私にドイツ語を教えなかったし、私にもオカンにも話しかけるのは英語でだった。でも、ドイツ人の祖父母や親戚・友人とはドイツ語で喋り倒している。オトンはオカンよりお喋りだ。🤣 でも、我が家の公共語は英語。英語は一歩外へ出ると皆が喋っていたから、我が家の共通語が英語なのは納得。
でも、私は3歳からフランス人学校へ行った。全部フランス語だったが別に困らなかった。そして自然にフランス語が優勢になってきた。幼稚園・小学校時代だ。
それが揺らいできたのは中学時代。英語の授業が増えてきた。中高校ではアメリカ人教師が働いていた。😧 フランス人の子供達はチンプンカンプンで英語の授業を嫌がった。でも、フランス人父兄の強い要望で2つに分かれた。アメリカに永住するフランス人の親達は、我が子に英語の授業を強制した。派遣で来ているだけで、フランスへ帰国する親は我が子の英語力はあくまでも外国語扱い。
私は、母校で帰路に立たされた。両親が好きにしろと言ったからだ。私は熟慮の結果、フレンチ・バカロレアコースではなくInternational Baccalaureate Course を選んだ。大学は近所のアメリカの大学へ行ってやろうと思ったからだ。😉 両親、特にオカンの強い希望で、私はモントリオールのマクギル大学を受けた。勿論受かった、授与奨学金付きで。でも、私は、UMass Amherst にした。通うには遠いから寮に住むが、帰宅は容易❣️ 其れが私の選択。
そんな訳で、私はマルチ・リンガル。日本語もイケテいる。でも,名古屋弁には噴き出す。何か変だ。オカンは名古屋は日本の中心で、名古屋は中部日本と言われていると宣言するw! 東京はあまり好きではないかと思いきや,江戸となると目が爛々と輝く。姿勢を正し、徳川将軍家の15人の将軍様達の事を話す。私は一回聞いた事は忘れないので、2回目は聞いてあげない。オカンは,毎回、新しいネタを熟慮してから話す。🤣 お陰で,私は、戦国時代末期から江戸時代の終焉迄の日本史だけを熟知している。
名古屋か、、、
オカン、いつか連れてってちょ❣️
オトンは何度もドイツ各地へ連れてってくれたけれど、オカンは一度東京へ連れてっただけ。当時のクラスメートと私の2人で纏めて連れてってくれた。
— 幻某氏 🌸彩雲🇯🇵T11⚓026🌸 (@lX8xNb6U7nbDvVQ) 2021年12月16日