この季節のセルフ洗車って晴れの日ほど
どこにいってもすいてるのはなぜ?![]()
ふきあげ暑いしそりゃそーか![]()
とはいえ
水ふきかけられる様子車内からみていると
ちょっぴり涼しいきぶんになったりしませんか?
ふきあげの滝汗だってなんのその。
仕上がりの姿みればやっぱり洗車はきもちいい〜ね![]()
だからこの時期、同じタイミングで洗車してる人みかけると
ご縁を感じてうれしくなっちゃうサイタです笑
で、きのう隣り合った人から
あついけど、お互いくるまぴかぴかですね〜♪
と話しかけられるもんだから、さらにきぶんは上向いた〜![]()
そんで、その帰り道に寄ったスーパーの駐車場で
くるまよごれてる〜
という会話がきこえてきて、
ちょっとイライラモードのくうき漂うお二人だったもんで、ふと思ったのだ。
洗車はたしかにあつい。
洗車するのいやだ〜ともなる。
けどそのやだ〜
は本当の心の声?
車がよごれてるのきになりながら
「こうなりたくない」(たとえば「汗かきたくない」)が顔出すと
くるまがきれいになったらうれしい(「こうなりたい」)
が表に出てこれなくなって
なのに
自分の本当のこころがほおっておかれてるとはきづかないまま
なんだかもやもやしちゃうこと、ないですか?
もやもやしてるけどよくわからないまま
さらにもやもやイライラ募ってくることって、ありません?
たとえばで
くるまのよごれがその原因のひとつになっているとするなら。。
本当は車がきれいなほうがいい。
だけど汗かきたくない。
ならば。。
汗かくの想定して
いい香りの濡れタオル用意しとけば車内でからださっとふくだけでもスッキリするかも〜
とか
着替え持参で銭湯行っちゃう?
とか
たまにはセルフじゃないおまかせの洗車でお願いしたっていいよね〜。とか
たのしく車きれいにする手段
なにがあるかな〜って方に意識向けてみたなら
意外な楽しみかたみつかっちゃうかも![]()
そんできぶんよく車にのれたら
イライラきえてよき循環うまれるかもしれない![]()
わたしたちは日常で(もはや非日常でさえも)
こころよりあたまで判断する機会が多くなってやしませんか。
じぶんの心の声が発する「本当のしたいこと」をちゃんと聞けてなくて
「こころからの望み」と逆のことを叶えてしまってる人が増えてるよに思う今日この頃。
サイタもいまだにどっちが本当のこころの声なんだ?
ってじぶんのそれがわからなくなることあるけどさ
したいこと。
したくないこと。
食べたいもの。
食べたくないもの。
ただ純粋にじぶんの心が反応する方えらぶことにはしっかり意識向けるようになった。
むかしはこころの声より外側の何かがきになって
本当はしたいけど、しない選択したり。
本当はたべたくないけど、食べる選択したり。
服の色も、掃除道具も、趣味も、お付き合いの飲み会も。
じぶんの心ムシして無理して周りに合わせてることにきづかないまま
イライラもやもやがいつもあったようにおもうんだ。
だから人にもやさしくできてなかった。
あるときある人にそこを指摘されて
心の声に逆らおうとしてる自分にきづけるようになってから
ひと目をきにすることやめて
自分の心に正直になって
そしたらイライラもやもやすることほとんどなくなった。
人にもすこしばっかり優しくなれたきがしてる。
「今の自分」にとってベストな選択肢は
「自分のこころの声」に耳傾けなきゃ聞こえてこないのに
わたしたちはうっかりするといつだって
誰かや何かや世間や社会の目をきにして
本当の好きじゃない方えらぶのあたりまえにしてたりする。
それがイライラもやもやの原因つくって
悪循環うんでることにきづけずにいたりする。
できるだけでいいとおもう。
誰かの声より自分の声に耳傾ける習慣が
よきこころをつくり
次の行動をさらによきほうへ勝手に運んでくれるようになるよなきがしてる。
むずかしくおもえる日常も
楽しくなること実感してる。
なにより
じぶんに、そして人にもやさしくなれる。
サイタは前回のおさらいもしておこーとおもいます。
自分の心に素直な正直ものなのか。
外側に向かって素直な正直ものなのか。
すべてはじぶんの選択次第。
だったら
バカなんてみなくていいほう、選んでいこう。
![]()
![]()
きょうもきのうより。
今がさっきより。
ほっとするひととき積み重なることで
あなたとわたしと
それぞれの大切なひとたちが
「大丈夫」につつまれますように。

