何故か私は縁があって、保育といくものに17年ほど携わらせて頂きました。
元々子どもは好きで、小学校の頃は家に帰ると近所の赤ちゃんの所へ行き、自主的ヘビーシッターをしていた記憶があります
ただ学生になり進路を決めるときには、保育よりも興味があるものが出てきて
違う道を選んだのですが
結婚して子どもをもうけてから、何故か保育をする流れになりまして
17年ほど子どもたちと過ごしました
子どもはもちろん、その保護者や手伝ってくれる保育士の先生たち、沢山の出会いがあり
とても楽しい時間でした☆
その時から20年ほど経っていますが、昭和と平成そして令和と日本の元号は変わり、子どもたちの環境も随分とかわりましたね
自分が関わっている時から感じていましたが、モノを言わずに目で伝えようとする子が多かったですね
親は目で伝えても動いてくれて、こどもの気持ちを察してくれるのでしょうが
私はあえてわからない風を装って、言葉で伝えることをゼロ歳でも一歳でも
こちら側が言葉にして説明したり、伝えたりしていました。
知人の一歳になるかならないかの女の子にも、自分のこどもの頃を思い出し、一歳でも全てわかっているようなその子に私自身は本気で
「あなたはまだ産まれて一年なのね
だから、わかってるかもしれないけど、まだまだ覚えることは沢山あって、全てが思い通りにはいかないこともあります。」と真顔で接していました。
彼女のお母さん(私の友人)には、私がスカウトして保育園で働いてもらっていたので、彼女も三人の子を持つ母で人柄も全てに信頼出来る人だったのでスカウトをしました。
そんな彼女もうちの保育園で働くようになってから、発達特性などを学んだので自分の子育てと園児たちをみて感じることも多かったと思います。
それでも勉強家な女性だったので、働きながら保育士資格も取りました。
私たちが保育園をはじめたのは平成でしたが、開園して数年で平成生まれのお父さんお母さんが登場して、先生たちと とうとう平成生まれが来たよー!!と言っていたことを思い出します。
小さな保育園だったので、お母さんやお子さんの顔と名前が今でも鮮明に思い出されて、今はどうしてるかな、、、と気になることも多いです。
保育の仕事を離れ数年経ちますが、やはり子どもと子育てをするお父さんお母さんを支援したい気持ちには変わりなく、今の私が出来ることで応援出来たらいいなぁと考えています。
今は準備中で、バタバタしていますが
形になってご報告出来るようになったら
またこちらでお話出来たらと思います。
お読み下さってありがとうございます。