【独自】中国の日本行き団体旅行、再開の動き 日中関係悪化で事実上禁止の中(日テレNEWS NNN) - Yahoo!ニュース

ということらしい。

 

 

が、中国人観光客は基本的に旅行会社からバス、免税店、レストラン、ホテルに至るまで、すべての行程を一貫して中国系資本で完結させる傾向があるから、実際のところ現地にお金は殆ど落ちない。

 

特に団体旅行客はほぼ全てがこれに当てはまる。

 

だから、この報せに歓喜しているのは、中国政府の政策によって青息吐息になっていた中国人事業者と、中国人観光客に全振りしていたごく一部の日本人事業者くらいのものであろう。

マラヤ共産党(MCP)暴乱(1948-1989年) 歴史の備忘録

1941年12月に日本軍がマレー半島に侵攻すると、英植民地当局は逮捕していたマラヤ共産党(MCP)員約200人を解放、1942年頃、MCPはマラヤ人民抗日軍(MPAJA)を結成して、「華人」と称する漢人住民の支援を受け、日本に抗して武装蜂起した。

 

 

1945年8月に日本が降伏して第二次大戦が終結すると、MCPは対日協力者への「報復」に乗り出し、対日協力者の多かったマレー人やインド人を攻撃したため、バトゥパハやムアルではマレー人が漢人に対して反撃に出て人種暴動の様相を呈し、ペラ州では漢人数百がマレー人の家屋19戸を焼き、マレー人56人を虐殺した(ブコールの虐殺)。

 

 

マラヤに復帰した英植民地当局はMCPに武装解除を要求したが、1848年3月、MCPは中央委員会を開催して「革命武闘路線」を採択し、マラヤ各地で騒乱を引き起こしたため、6月17日、英植民地当局はマラヤ全土に緊急事態を宣言し、7月23日にはMCPとその関連団体の活動を禁止した。

 

 

これ以後、MCPは山岳地帯に退き、周辺の漢人住民たちの支援を受けつつ、ゲリラ活動を続けたため、イギリスは1950年頃から山地付近の住民の強制移住政策を実施、これによりMCPは漢人住民たちからの支援が受けられなくなり、更に1952~54年、英植民地当局がマラヤの自治を進展させたため、MCPは急速に弱体化した。

 

 

その後もMCPはタイ国境付近の山岳地帯に拠って活動を継続したが、1989年12月2日、マレーシア及びタイ政府と武装闘争放棄の平和協定を締結し、活動を停止した。

豊国社は1599年に京都市東山区に建設された神社で、現在の正式名称は豊国(とよくに)神社、祭神は豊臣秀吉である。

 

 

1615年に大坂の陣によって豊臣氏が滅亡すると、徳川家康は朝廷の承認を得て豊臣秀吉から神号「豊国大明神」を剥奪し、豊国社を廃社とした。

 

さらに豊国社の建物をも破却しようとしたものの、秀吉の正室高台院が建物を残すよう家康に懇願したため、破却せずに朽ち果てさせることにした。

 

 

1662年、京都で地震が発生した時、豊国社周辺に被害がなかったため、地震除けとして密かに「豊国大明神」の神札を家屋に設置したり所持したりということがあったが、当時の記録に「町奉行所の役人に見つかったら面倒」というようなニュアンスの記述があるため、天主教や日蓮宗不受不施派並みの扱いを受けていたということであろう。

 

 

1868年、明治新政府が「豊国大明神」の復活を宣言し、1875年に社殿を建造、1880年にかつて方広寺大仏殿のあった現在地に移転して現在に至っている。