「水中の哲学者たち」をオーディブルできいてみた。 | 本日も美味しいビールをいただきました。

こんばんは うさままです。

ここを、あまりにも放置していますが

忘れているわけではないです。

いつから書いていないのかしら?

関東に住んでいる人になってから書いていないようです。

やっぱり環境が変って、

その土地で生活する人になるには

私の場合、2年くらいかかるのかな

 

今の場所に引っ越して2年がたち、

賃貸アパートの契約更新とやらをしたのですが

2年たってようやく近所を歩き回るに至る。

近くて遠く感じていた公園や遊歩道などを

ようやく身近に感じる今日この頃です。

 

オーディブルを聴きながら

歩くのが楽しいです。

 

最近聴いた本(本を聴くって不思議な表現)

「水中の哲学者たち」

 

聴き始めた時、文月さんっぽいなと思ったのだけど

あぁ詩人ぽいのかもなとも思った

詩人ぽいって何よ?言葉のチョイスかな?

多分年代が一緒なんだろうと思い

調べてみたらお二人とも1991年生まれだった。

 

前も書いたかもしれないけれど

文月さんの「洗礼ダイアリー」

日記に「さっさと迎えにきてよ」

と書いて未来の自分に助けを求めた

というがとても共感できたのだけど

 

ここを読んでから、私は

今やりたいことだけではなく

過去の自分を連れていきたいところについて

考えるようになったし

過去の自分の思いがかないそうな時は

イメージの中で迎えに行くということを

するようになった。

 

そうしたら幸福度が増した。

 

「水中の哲学者たち」の中で

「待つ」ということについて

書かれているのだけど

 

「待たされることを

待つことに捉えかえすとき

決断と主体性を帯びたものになる」

 

捉え直すじゃなくて

捉えかえすなんだよな

ここに積極的な意図があるんだろうな

そんなところが好きだ。

 

何げない「問い」を

時間がったってから良い「問い」だったと思った時に

「問い」が君がそう思うまでずっと待っていたよ

と言ってくれているというところで

 

読んでくれている方の抑揚が素敵なのもあるが

不覚にも泣きたくなった

 

なんとなく過去の自分を迎えに行ったら

そういってくれたところがイメージできて

あたたかさが溢れたのだ。

 

そうかぁ

もう早く迎えにきてって言わないよ

だって迎えに来るって知っているから

待っているからねって言うからね。

 

 

変わることを恐れないで聞くと言うことについても

描きたかったのだけどまた次回