足りる?・足りなひ?
(前回記事内容より)
そもそも、
足りる?
足りない?
は、自分が決めるものではないざます。
これは相手の満足度によって決まる事であり、自分自身の尺度は関係ありません。
十悪魔十色(人間の場合は、十人十色)というように、ココロのバケツの大きさも千差万別。
幼児用のバケツの人もいれば、東京ドーム何杯分という人もいるでありんす。
太平洋!!とかいう人もいるかもしれない。
でもそれが相手の尺度なのだから、仕方がないざます。
自分がもういいだろうと想っても、相手がまだといえば、なみなみ注ぎ続けるしかない。
それに、愛やレスキューに、見返りを期待しちゃいけまへん。
『わたしはここまでしたのに』と言ってしまった時点で、もうそれは愛やレスキューではなくなってしまう野良。
自分はどうあれ、相手を幸せにしたい

自己犠牲から生まれるのが愛ではないかにゃ?
何も言わないで、その人の為に底無しの気持ちを送り続けられる。
それこそが、レスキュー愛
それこそが、レスキュー魂
ではないか

。



もちろん相手が、
『もう充分だよ、ありがとう』
といったら、その手を緩める時らけろ。
それまでは、迷惑にならない範囲で、相手を1番に思いやる事こそが本物な野良。
本物のレスキュー愛なら、
本物のレスキュー魂なら、
決して枯れることはない









世のヒーローやヒロインは、その枯れることのない泉で、最後の最後までやり通すのだから









自分でその限界を決めてはいけません。
限界は常にリミッター解除して越えていくもの。
自分自身の信じた方(悪魔・人・動物)のために
『尽くす』
『信じ抜く(それがどんな悪人だろうと、最後の独りになろうと)』
『底無しに注ぎ続ける』
事ができれば、
愛の形が見えてくるんくるん

あなたの愛の形は、
どんなですか?
何色ですか?
何味ですか?
ちなみに、本日は19時より、
『小中学校教科書クイズ』が3時間に渡り放映

解答者として、デーモン閣下が御出演

観るのだ。視聴するのだ。
見逃したうつけものは、
『市中引き回しのうえ、張り付け獄門ψψψ』