<改めて自己紹介〜学生時代から社会人1年目〜>

 

今日は簡単に自分の起業までの経過とその後について。

また、今、どういった状況なのか。

ここについて今回は詳しく書いていこうと思います。

 

もともと私はダメダメな人生を繰り返して

劣等感だらけの人生でした。

 

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遡ること幼少期。私自身には下に弟が2人いて

常に比較され、親の期待に応えられない残念なお姉ちゃんポジ笑

 

親は公務員第一!みたいな親なので

自由奔放に生きたい私にとっては結構苦しい実家生活でした。

バイトは学業に響くからやめろ、高校生のお小遣いは数週間でなくなる金額。

外出は月2回以上続くと多くないか?と無言の圧力。

そして専門学生の頃の門限は22時という

飲み会があった日にはまあまあ無理ゲーな門限のなか過ごします。

 

もちろん恋人ができてもこの門限だったので

これを理解してくれるパートナーはホント少ない!!

 

結局弟は親の理想を叶え、一方で私には大した目標もなく

けれどお硬い仕事は嫌だ!とダダを捏ねる10代のわたし…笑

 

そんな自分だったこともあったので高校を卒業するといったタイミング

次の進路を選ぶときとっても困りました。

 

人生、これと言ってやりたいこともなく、

何をして仕事をしていきたいのかもわからない…。

 

今までこうしたら?あーしたら?と言ってくれていた親の言葉を

そのまま鵜呑みに、生きてきた私はいきなりどうしたい?と言われても

世の中に、どんな仕事があって

その仕事につくためには何が必要なのかも調べようともしない。

なんとも自分の人生に無責任な自分だったわけです。

 

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<自分の中の概念を変えた専門学校>

 

そんな自分の人生に無頓着だった18歳のワタシですが

またしても親から3つの選択を与えられます。

ST・OT・PT

と言ったリハビリ関係の仕事につくための専門学校を進められます。

 

こんな自由奔放な私なのでやりたいことは

特にはないけれど早く親元からは離れたい…w

 

そんな、自分勝手な考えで

当時なる人が少ないと言われていた、ST(言語聴覚士)へとなる道を志します。

※このとき私はなる人が少ない=学校が少ない→一人暮らしができるのでは…?

と言った安易な考え方をして親に「STになります。」と宣言するわけです。

 

しかし、実際そんな自分の都合のよく人生はいかずに…

そしてなんと、県外にしかないだろうと思われたST(言語聴覚士)になる専門学校が

地元愛知にあることが発覚し笑い泣き

見事まだ実家から出ることは許されない私でありました…笑ガーンガーンガーン

 

なのでそんな安易な考えで専門学校の門を叩いたおかげで

自分の苦手な勉強や実習に追われる毎日…ネガティブ

しかしやると言って入った手前、卒業しないとダメなんだと

自分を追い込み

ここでも自分なりに一生懸命に頑張ります。

 

ただ、すこぶるテストというものと相性が悪い私は

テストの範囲外を一生懸命勉強していたり笑笑い泣き

予想と事なる内容が来てあたふたしたりとガーン

先生に頑張ってるんだけどな…と苦笑いされるほど、やっぱり上手くいかないのです。

 

そしてなんだかんだ2年生になった冬、同期が2人辞める。といったことが起きます。

 

理由を聞くと実際に実習をしてみて自分には合わない。

違う道があると思うから。

 

という理由を聞かされます。

 

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私はここで大きな衝撃を受けるのです。

 

今となればそりゃそうだ。と思えるのですが

自分の人生って自分で決めていいんだ。ということです。

 

そして私も次の学年へ上がるのが難しい。

そう、確信したタイミングで

勇気を振り絞りようやくここで親にもう、やめたいです。

 

と告げるのです。

 

もちろん何を言い出すんんだと親は激怒。

ここまで散々お金も払ってもらっていたしそれは当然だと思っています。

 

でも今なら言えます。

 

だって本心からは望んでなかったんだもん。

そりゃ、できないってって。口笛

今ならそんな自分もそっと抱きしめてあげることができる。

やりたくないなりによく頑張ってたよ。

 

けれど当時の私は

面と向かって、親にたいして自分の意見を言うという行為を避けてきたのもあり

数える程度だったことも相まって、ものすごく辞めるまで体力を使いましたふとん1

 

なんとか2〜3日間くらい?説得して辞めることになります。

 

ただそこからもなんとか学歴に穴を開けたくなかったのか

他の学校へ行くのかどうするのか聞かれます。

 

ただ本当に自分がどうしたいのかまだわかっていない(探すすべがわからなかった)私は親を説得させ、とりあえず資格をとろうとします。

 

当時は本当はエステやリラクゼーションのような仕事に憧れがありましたが

ここでも親からの難癖(という名の価値観の押しつけ)と私の覚悟や意思のなさから

妥協し、医療事務の資格をとって雇ってもらおうといった考えに落ち着きます。

 

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なぜ医療職の事務へいこうと思ったのかというと

・もともと医療関係の職へつこうとしていたのでなんとなく雰囲気は掴めている。

・医療は自分の身体についても密接に関わっているのできっと食いっぱぐれはない

 

この2つの理由と親のいう「安定」といった仕事には近いかな。

ときっと察してこの仕事を選んだんだろうなと今なら感じられます。

 

ただこの医療事務時代も悲惨でした…笑

 

PC作業はそこそこできたものの、

早急対応や素早い暗算みたいなのが得意ではない私は突拍子のない仕事が山程降って来たときに軽いパニック発作になり、仕事は空回り。

まだまだ社会人経験がなかったというのもあってか本当に仕事ができませんでした。

(今でもこのブログを書いて泣きそうw)

 

それでも入ったら続けるといった無駄な根性はあったので

ここで2年間務め上げます。(ただ、病院がなくなるということで同時に退職)

 

そしてある程度社会人経験を積んだ私は医療事務はもうやらない!と心に誓い

今度は一般事務へと業種を移します。

 

長くなったので続きはパート②へ。