羽幌から 留萌へと向かうのですが 鉄道の無い現在はバスでの移動です
 
れおん     師匠 今晩 うさ爺 と しろうささんが増毛に来るんですよ
 
うさ子     ほな 今日は増毛までいかんとあかんのう
 
れおん     自分達も遊びに行くから 増毛を案内してくれるんですよ
 
ごま      それで増毛って 何かあるんですか
 
うさ子     禿の楽園じゃ
 
はな        増毛だけに ぞうもう ってかいな
 
ミミ      そんなもんある訳無いでしょ  増毛といえばあの映画のところですよ
 
うさ      旨い酒 もおましたで
 
ミミ     うささんは 酒しか覚えていないのですね 
 
  増毛へは 留萌で乗り換えます でも留萌の観光といっても
  黄金岬海浜公園 冬は閉園中
 
うさ     生駒山上遊園地と一緒でっせ
 
うさ子      そやからあいつ等 出稼ぎしとるんやがな
 
   夏でも冬でも 年中無休で営業中なのは
 
 
             留萌神社
 
所在地       北海道留萌市宮園町4丁目16番地
 
主祭神    市杵島姫命     (いちきしまひめのみこと)
 
創祀       伝  天明6年(1786)
         当地支配人栖原彦右衛門が 広島県安芸の厳島神社の御分霊を奉斎
       したと伝わる
 
社殿様式     神明造
 
旧社格    県社
 
例祭日      7月17日
 
         明治 9年 村社 厳島神社 と公称
         明治29年 郷社
         明治39年 神饌幣帛料供進神社
         大正14年 現 境内に遷座
         昭和15年 県社
 
 神さんは 年中無休です 賽銭も年中 受け付けています
 
 
ごま       またこんな罰当たりな事 書いていますよ
 
ミミ       ほっときなはれ  いずれ 天誅が下りますから
 
 留萌から 再びバス旅が始まります
 
うさ爺    おーい れおん ここじゃ ここじゃ
 
しろうさ   あんた もう悪さはしてへんやろな
 
うさ爺    そやけどのう れおん  札幌 所払いやで
 
れおん    え”-  何でですのん
 
しろうさ     札幌駅で えらい狼藉 働いたやろ
 
れおん    あんなん 大阪では挨拶程度ですよ
 
うさ       師匠 やっぱり生ぬるかったんとちゃいまっか
 
うさ子      そうじゃのう やる時は徹底的にやらんとあかんのう
 
うさ     ほな 金さん印 の玉なとお見舞いしたりまひょか
 
うさ子      その辺におる 白鳥たぶらかして 投下させたろかい
 
ミミ     ちょっとあんたら 何アホな事 相談していますんや
 
うさ爺      金さん印 がどうたらこうたら とか
 
ごま       札幌に 核爆弾お見舞いする って言ってるんですよ
 
しろうさ     そういえば 稚内沖で きのこ雲 て瓦版 出てましたな
 
ミミ        あれもこいつ等の仕業なんですよ
 
カン        広島でやったら えらい事でっせ
 
はな      広島でのうてもえらい事になるわ
 
 札幌に核爆弾を投下する せんは さておいて  今晩はうさ爺 と しろうささ     んも一緒に
 
うさ爺      れおん 増毛で今生の別れじゃのう
 
しろうさ   もう 札幌に帰ってこんでもええからな
 
うさ       れおん これで心置きなく放浪できるのう
 
うさ子      良かった 良かった ほっほっほ
 
れおん        いっこも ええ事 無いですよ
 
ボス子        れおんさん 行くとこなかったら いつでも大久野島に来て下さいね
 
うさ子      ほな 今晩は れおんの別れの盃じゃのう
 
ミミ     あんたー アホな事言うたらあきませんで 
 
はな       そうやで まだ納棺もしてないやろ
 
れおん    はなさん こそっと変な事言わんといて下さいよ
 
源三       でも よく考えたら 札幌に住んでいませんよ
 
うさ爺      それも そうやったのう  どうでもええ話やったわ
 
ごま     れおん の事はさておいて では 地名の由来 です
 
       ここ 増毛は アイヌ語の マシュキニ 
 
                    または マシュケ が転訛したものです
 
        かもめの多いところ という意味です
 
        ♬ ♬ ♬  ニシン来たかと カモメにとえば   
 
                    でお馴染みの北海盆歌
 
        ここ増毛は ニシン漁で栄えた地でした
 
        ニシンが群来ると 海一面にカモメが飛びますからね
 
ミミ        そうですね 北海道は ニシンと石炭で栄えました
 
          その当時  寿都鉄道はもとより 官鉄も路線拡大しました
 
うさ爺       皆さん 蝦夷の歴史まで よう知っていますんやな
 
ミミ        このブログの基となっている鉄道唱歌は 
 
                    地理・歴史教育 鉄道唱歌といいます
 
         国文学者である 大和田建樹先生が 七五調の歌詞の中に
 
         沿線の地理・歴史・民話・伝説 はては名産品の紹介までしています
 
         でも その内容を説明しなければ 意味が解らない歌詞が多いのです
 
         例をあげるならば 東海道編の22番ですね
 
           鞘より抜けておのずから    草なぎはらいし御剣の
 
           御威は千代に燃ゆる火の      焼津の原はここなれや
 
         これは日本書紀  日本武尊  東征の焼津での出来事です
 
         かと思えば 46から53までは 京都の観光案内 
 
                     土産物とかの歌詞もあり
 
         歴史の勉強にもなりますし 地理の勉強にもなるのですね
 
       うさ爺   しろうささん も交えた楽しい時間を過ごし    翌日は 
 
うさ子        ほな今日は 増毛観光じゃのう
 
れおん      じゃあ ここは僕が案内します
 
うさ爺      れおん 大丈夫かいな
 
ごま       大丈夫ですよ
 
ミミ         自分のテリトリーの案内が出来なくては 
 
                     うさっ娘軍団 失格ですからね
 
カン       そうでんのか
 
ごま       だから 皆さん勉強されていますよ  

れおん          まず ここが 増毛駅 です 大正10年の建築ですね

うさ       うわぁ こらまた古い駅舎ですよ おまけに無人君ですよ

はな       こんなん 桜井線の畝傍と変わらんやん

うさ子        あほー 畝傍には皇室専用室があるねんで 一緒にするんやないわ

ミミ       そんなら 稲荷のランプ小屋なんかもっと古いですよ

れおん        あのー 別に古い物 自慢と違いますねんけど

             駅前を てくてく と行きましょうかね

れおん        まず 駅前の雑貨屋 多田商店 昭和8年の建築ですよ

うさ子        食堂の看板あがってるのに 何で めし 喰わさんのじゃ

うさ         そうですよ めし がないなら食堂ちゃいますやん

れおん          これは 映画のセットの復元ですので

ミミ       確か   駅STATION でしたね

れおん        そしてここが 民宿 ぼちぼちいこか 増毛館  昭和7年の建築ですよ

はな       うわぁ これ懐かし 木製の冷蔵庫やん

ミミ       えー こんなん木の箱ですやん

うさ         第一 どこにコンセントおまんねん

うさ子        ちゃうがな 氷いれてひやすんや なぁ はなくそ

はな       うちとこ 山の中で電気来てなかったから
 
                     麓の 氷屋へよう買いに行かされたで

ミミ      ここの建物の窓 菱形とかアーチとか珍しいですね

ごま      昭和初期の喫茶店なんかのデザインですね

れおん         旧商家丸一本間家 ですよ

うさ       うわぁ ここ 石造り ですやん

れおん        ふるさと歴史通り の中でも一番の建築物ですよ

       明治の初期から続いてるんですからね

ミミ     ニシン漁全盛の頃はスゴかったんでしょうね

うさ子    蘭島とか塩谷には ニシン御殿云うスゴイ家もあるしな

はな     ニシン様々やな 今はあかんけどな

れおん        ここは 志満川(しまかわ)食堂ですよ

ごま       増毛では老舗の食堂 らしいですね

れおん        旧小林廻船問屋です 明治25年の建築です

ミミ       歩いたら喉がかわきましたね

れおん      あそこに 美味しい お水がありますよ

ごま       これですか 秀峰暑寒別岳の伏流水

ミミ       うわぁー 冷たくて美味しい お水ですね

はな         こら うまいわ

れおん        このお水は 師匠の好物を作るのに使うんですよ

うさ子      ちょっと飲ませてくれるか  こら ええ水や うまい酒できるで

れおん      最後は 師匠の大好物の お酒の蔵元ですよ

うさ       國稀醸造元 って看板 立ってまっせ

うさ子      さっきの旨い水で作る 辛口の銘酒 てか

れおん      ここは日本最北の蔵元なんですよ 明治15年の創業ですね

はな     うち 酒より法被も着れるし こっちで子供と一緒に楽しも
 
子うさぎ   わぁーーい お母ちゃんと一緒や
 
カン     ほな あんた達も行くか
 
ボス子    うん お母ちゃん行こ 

ミミ       うわぁ あんなとこにでっかい蜂の巣ありますやん

うさ子        あれは しるしの杉玉 やんけ

うさ       玉って あれに乗るんでっか

うさ子        おいしいお酒が出来たよって 合図の玉やがな

うさ        と 言う事は おいしいお酒が ある って事ですね

うさ子    そうや うまい酒が 呑める って事じゃ

うさ       師匠 行きましょ

ミミ       結局 あの二人は 呑みたいだけですやん
 
れおん      この杉玉  奈良県の大神神社で作っているのですよ
 
はな     そうやな 大神神社いうたら 酒の神さんやしな

  今日は れおん の案内で 増毛 の町を楽しみました
 
うさ爺    あいつも ちゃんと観光案内できるんやな
 
しろうさ   やっぱり 旅に出して良かったな 爺さんや
  
  鉄道唱歌の旅  ご当地の神社巡りもしないといけませんね
 

 

            増毛厳島神社

 

所在地     増毛郡増毛町大字稲葉町3丁目38番地

 

主祭神     市杵島姫命      (いちきしまひめのみこと)

        保食神        (うけもちのかみ) 

        神龍宇賀之霊神      (しんりゅううがのみたまのかみ)

        大己貴神       (おおなむちのかみ)

        小彦名神       (すくなひこなのかみ) 

 

創建      伝) 宝永年間    (1704~1711)

 

社殿様式    唐破風造

 

旧社格     郷社

 

例祭日     7月13日

 

 

 帰りも線路の道が無いので バスで留萌まで戻り 留萌からは深川へと列車で向か     います

 深川からは 函館本線特急街道 スーパーカムイ で

 札幌へ帰る うさじい と しろうさ  

   うさっ娘軍団は 途中の岩見沢で下車します

 

うさ爺    れおん わしらは札幌へ帰るけど  れおんはのう

 

しろうさ   もう 札幌に帰ってきたらあかんで  そういうことで

 

うさ爺    ほな バイバイじゃ

 

れおん      じゃ また京都 奈良に来て下さい 札幌より良いところですよ

 

ミミ    そうですね 祇園祭の頃にでも ぜひ お越しくださいね

 

源三    そのあとは 天神祭りも見て頂きたいです

 

はな    そうやな 日本三大祭りの 二つ見れるしな

 

うさ     そのあとは うさが神田の明神さんを案内しまっせ

 

ごま     お姉ちゃんじゃなくて いづうささんでしょ

 

ミミ      祭りにかこつけて うさ子さんと飲んでばっかりのくせに

 

うさ子    何じゃ わしかい 

 

 

 

札幌周辺と札幌近郊の観光スポットをご紹介|一般社団法人 岩見沢市観光協会 (iwamizawa-kankou.jp)

 

      

 
 
           岩見沢神社
 
所在地    北海道岩見沢市12条西1丁目3番地
 
主祭神    天照大神     あまてらすおおかみ
 
         大己貴神     おおなむちのかみ
 
創建       明治18年(1885)
 
旧社格    県社
 
神殿様式     神明造
 
例祭日    9月15日
 
  明日からの 旅のため 今晩は岩見沢にての宿泊です
 
 
ごま      ここ岩見沢の 地名の由来は アイヌ語の地名が多い中で 
 
                  和名なのです
 
        札幌~幌内の道路開さくの人夫たちが ここで風呂をわかし工事の疲れ
 
                    を癒した湯浴沢    ゆあびさわ  
 
                    というのが転訛したものといわれています
 
 
ミミ     岩見沢にも 温泉はあります
 
       泉質は ナトリウム一塩化物強塩泉  (高張性中性高温泉)
 
       効能は 神経痛  関節痛  筋肉痛  五十肩  運動麻痺 
 
                   慢性消化器病         慢性婦人病  慢性皮膚病
 
       などに良いとされています
 
ごま       岩見沢神社の創建は 明治18年でした 
 
                     岩見沢の開拓は明治に入ってからです
 
       明治15年 手宮~札幌間の鉄道が延長され 幌内炭山までの
 
                     手宮~幌内間が開通しました
 
                    その際 通過地点として岩見沢駅が開業しました
 
       明治16年 山口県他 11県から士族554戸が集団移民をして 
 
                     開拓の鍬が打ち下ろされました
 
 
ミミ     石炭にまつわる  DISCOVER 岩見沢 のお話を
 
       ある 猟師が ♬ ♬ ♬ ちゅちゅん が ちゅん  ではなくて
 
       獲物を追って山奥に入り 野宿をして焚火をしていると 
 
                  突然 近くの石が
 
      「ありゃあ 石が燃えとるやんけ  山神様がお怒りじゃ 祟りじゃ」
 
               と   ビックラこいて村へ逃げ帰ったのですが
      
       このビビリんちょが 石炭を発見した最初だと言われています
 
       始めは石炭とは言わず 燃石といっていたそうです
 
うさ子    ほな 黒いダイア 掘りに行こか
 
ミミ     と いつもスカタンばっかりしている アホゥもいますけどね
 
 
   翌日からは 鉄道唱歌の旅に戻ります
 
 
             北海道唱歌 北の巻
 
      14 再びもどる室蘭線      ふたたびもどるむろらんせん
 
         栗山 由仁の農場を     くりやま ゆにののうじょうを
 
         過ぐれば来たる追分の      すぐればきたるおいわけの
 
         夕張行の乗り換え場     ゆうばりゆきののりかえば
 
 明治25年(1892)8月 岩見沢~室蘭(現 東室蘭)間が開業しました
 現在の室蘭まで伸びたのは この5年後です  この当時 列車の八割近くは
   石炭列車だといわれています 室蘭線は北海道の石炭輸送の最大の使命でした

   大正7年(1918)には有名な「3000t列車」が運転されました

 当時最新鋭の 9600形式蒸気機関車が牽引する全長640mを超える
   24t積みのセキ73輌の長大石炭輸送列車は壮大だったでしょう
 セキ73輌の長大石炭輸送列車は壮大だったでしょう
 追分は 当時は夕張線の分岐駅でした
 現在は石勝線として 帯広・釧路方面へ結んでいます
 
 北海道唱歌は 南の巻 北の巻 各々20ですが
 そう簡単に終わらせないのが この旅です 脱線の旅がどうなるのかは
 
うさ子   わしゃ知らんで
 
うさ    そうでっせ ウサギ使い のキツイ旅でっせ
 
源三      神のみぞ知る ですよ
 
 
それじゃあまた逢えたらいいね
 
                うさうさ うさ子