「わたしはみんなと同じじゃない」
(普通から外れている)
と感じたとき、

それじゃダメだと努力したり
自分を責めてきた人にとって、


同じじゃなくてもいいんだよ、
あなたはあなたでいいんだよ、
と聞くと救われた気持ちになることは確かです。



ですが、 
その安心はあまり長続きせず、

本心からそう思えていないからだと、
さらにがんばるのも、
つらいものがあります。



わたしは、
そう思えない自分を責めることで奮起し、
原因を探し対処してをやってきました。


それほどに、
みなと同じではないことは、

自分の存在が脅かされるような
怖さや不安があったのだと思います。



今でも
みなと同じだと安心だし、
外れたと感じると胸がギュッとなります。


そのことには変わりないけれど、
その外れた自分を何とかしなきゃ、
という思いはだいぶん薄らいできました。



外れているかもしれないけど、
外れたままで居られる感じ
と言うのかな。


外れていてもいい、
という許可の安心とは違って


そのままの自分でしばらく居られる。


そんな時間が持てるようになったことで、
「それじゃダメだ」と 
わたしを駆り立てることが、
少なくなってきたのだと思います。

 

 

 

 

 

 


ご無沙汰しておりました。


さて、今日は珍しく
おでんを煮込んでおりまして。


おでんって
煮込むだけで簡単なように思うけど、


材料も多く、
けっこう手間ひまかかるんですよね。


だからこそ、
避けていた料理でもあるのです。


昨シーズンは、
一度も作らなかったかも。


朝晩涼しくなったことと、
おでん材料が特売になっていたこともあり、

今夜は、久方ぶりのおでんなのです。



そして、
なぜか嬉しいんですよね。


おでんって、
あったか幸せの象徴のような気がして。


あぁ、今わたし幸せなんだなぁって。



特に何かいいことがあったわけでもなく、
変わらない日常を過ごした今日。


夫とは、いつもと同じ会話。
息子は、忙しいのか既読スルー。


だけど、
わたしはおでんを煮て
グツグツいう音と、
そのにおいに
幸せを感じているんだよなぁ。
 

 

 

 


現状に沿った暮らし。
と聞くと、

どこか諦めたような
少し寂しい感じがしていました。



ですが今は、
そこに希望すら感じていることに
驚いています。


これまで、
特に嫌なことに関して、
現状をそのまま受け入れるなんてとんでもない。


もっとよくなるはずだ。
あきらめたら負け。
がんばらなきゃ。
でやってきました。



数年前、わたしは、
関節を痛めたんです。

いつものように
改善に向け動きだしました。


長年いろいろとやってきたのですが
思ったようには良くなっていない
という現実があります。


このまま努力し続けていたら
もしかするともっと良くなるのかもしれませんが、

気持ちはそっちから遠ざかっていて、
どちらかというと、


現状に添った暮らしをしよう
という方向へ傾いています。


諦めない努力のおかげで
未来が開けたこともありますが、

それ一辺倒でなくてもいいんじゃないか。

そんなふうに思っているのです。



諦めることは負け、
と信じていましたが、

むしろ選択肢が増えたような、

あきらめた先は、
無力感だけではないように感じています。



少々衰えた自分に沿った暮らし。


そこには、
未来を変えられるような
キラキラした希望はないかもしれないけど、


そんなに頑張らなくても
わたしはここにいる。


微かだけど、
確かにある希望を感じているのだと思います。