子どもが成人し、しばらく経ち、

やっと、
「それがあなたの人生だね」

と思えるようになってきました。



これまでは、

「こうすればよかった」
という後悔や、

「なんでわたしは……」
と自分を責める気持ち。



そういうものがほとんどで、

煮え切らないというか、


もうどうしようもないことは
わかっているのに、

何となくいつまでも、
同じところにいるような感じがしていました。



過去を思い出しては後悔し、
今の状況を、理想と比べては
自分を責める。


そんなことを、
ずっと繰り返していたのだと思います。



でも、あるときから、

「やれるだけのことはやった」

そう思うようになりました。



「やれるだけのことはやった」

そう言葉が自分から出てくると、

波がザッーと寄せてくるような
感じがします。


後悔や自責を、
流してくれているのか。


そのあとには、

なんだろう。

何かが確かに残っていて、
力をくれる感じがあります。



だから、

我が子に、

「それがあなたの人生だね」

そんな心境になってきたのだと思います。



それぞれの人生の舵を持つことは、
とても大きな変化です。


けれど、不思議なことに、
今、穏やかで落ち着いています。


これまで、

後悔や自責を繰り返し、
同じところにいるように感じていたけれど、


もしかしたら、

それぞれの人生を生きていくための
心の体力や筋力を、
親も子も、
つけていたのかもしれない。



そう思うと、

あの時間も、
ただクサクサしていたわけでは
なかったのかも。


そんなことを思っています。
 

 

 

 

少し、生きることがラクに感じる近ごろです。


それは、
心配事がなくなったとか
結果を出せて充実しているからではなく、


ちょっと不思議に思うかもしれませんが、


日々感じている「緊張」に
気づけるようになったからです。


今となってわかることですが、
子どものころから
自分の居場所を確保するために
それはそれは頑張ってきたのだと思います。


だけど、その反面
わたしの毎日には、
かなりの緊張がありました。


わたしにとって、
居場所がないことは、
生きていられない感覚だったからです。


それでも昔は、
その緊張が、

パワーに変わり、
何度もわたしを助けてくれました。



居場所を作るために
自分を後ろに回してまで
頑張ったこともあったけれど、


それでも、若い頃は
なんとか回っていたのだと思います。


けれど今は、
わたしの体力や年齢には
少しハードだなと感じています。


なので、
緊張をなくせたらいいのですが、
今のところ、
そう簡単にはなくならないようです。



居場所がなくなるかもしれないと察知すると、
不安から勝手に身体が緊張するからです。


ですが今のわたしは、
緊張していることを
自覚できるようになってきました。


あー今緊張しているなと自覚する。
すると自然に緩む。


その繰り返し中です。



いつまで繰り返すのだろう、
早くなくならないかな、
と思うことはあるけれど、


以前のように
クサらなくなりました。



「またやってるよ」
と笑う一面があります。


この“クサらない”というのが、
何ともわたしをラクにしてくれています。



何かを解決したり、
結果を出すことで、

不安をなくし、
緊張から解かれるのではなく、


緊張の受け止め方や、
付き合い方が、
少し明るく軽くなったのだと思っています。
 

 

 

 

 

「どうして私は、変なことを言ってしまうんだろう」

「どうして人を傷つけてしまうんだろう」

「どうして私は、輪から外されてしまうんだろう」



その理由を、

「私には、相手の気持ちがわからないからだ。」
 

と結論づけていました。



だから、
相手の気持ちを理解できるようになりたかった。




これまで、そうなろうといろいろやってきて、
今、こんなふうに思っています。



私は、
「相手の気持ちがわからなかった」というより、

自分のことで精一杯だったのかもしれない。



わたしなりに、相手をわかろうとして、
「今、どんな気持ちなんだろう」
「どうしてほしいのだろう」
と考えてはいるのです。

 

 


ですが、頭の中は、


嫌われないようにしなきゃ。
沈黙になったらどうしよう。

と自分のことでいっぱいいっぱいでした。



相手を見ようとしても、
なかなか見ることができないのは、
無理もないことだと思います。



それがだんだんと、

「ああ、今、私はこう感じているんだな」
「こんな状況にいるんだな」

自分の中で起きていることや、
目の前で起きていることを、
一、二歩引いて見られるようになったころ。


まず、自分のことが少し見えるようになりました。
すると、気がつけば、

相手に意識が向いていました。



相手の気持ちを、
無理に想像しようとしなくても、

「もしかしたら、こう感じているのかもしれない」

と、なんとなく思う。
そんな感じです。



それが当たっているかどうかは、
また別のことなので横に置いといて。


自分にも、相手にも、両方に意識を向けられる。

私には、それが大事なのだと思います




「私はどう感じているんだろう」

「相手は、どう感じているのかな」

「じゃあ、私はどうしたい?」


行ったり来たりしながら、
その場、その関係、その出来事に
折り合いをつけていく。



以前は、
相手に合わせるか、
自分を通すか。

白黒ハッキリしていました。



今の私は、
その間にあるハッキリしない所を見ています。



相手の気持ちも、
自分の気持ちも。

どちらかを消すのではなく、
両方を感じながら。