前回の記事で、



自分に戻るとは、



居場所を失っていた感情や感覚を、
少しずつ迎え入れていくことだった、



そんなことを書きました。

 




以前の私は、
不安や寂しさがなくなればいいと思っていました。

 

恥ずかしさや悔しさもそうです。



 

そういう感情があると苦しかった。

 




だから、

解決方法を学んで実践したり、

考え方を変えようとしたり、

自分と向き合ったり、

自分を癒やしたりもしました。

 




おかげで、
以前よりずっと楽になりました。





だから私は、
克服できた、
なくなったと思っていました。



でも、
今振り返ると、
なくなったわけではなかったようです。



 

不安も、

寂しさも、

恥ずかしも、

 

今でもあります。

 

 

 

そして、現在も

そういった感情は起こります。




ただ、
以前のようにそれらを嫌わなくなりました。




そして、
もうひとつ気づいたことがあります。



穏やかになっていた頃の私は、
たしかに楽でした。




だけど、
どこか色が少なかったようにも思うのです。

 

 

 

毎日は過ぎていく。

大きな問題もない。

 

ある程度自分で解決できる。

 




だけど、
ただ立っているような感じ。

 

 

自分の足で立っている実感が、
どこか遠い感じでした。

 

 

 


それが、
不安や寂しさと一緒に居られるようになってから、
少し変わりました。

 




感情をなくそうとせず、

 


 

 

その感情と一緒に、

自分が居る。


 

そんな感覚でいると




少しだけ世界に色が戻ったような、

少しだけ生命感が戻ったような、

 

 

感じがします。

 




 

私が求めていたのは、

感じたくない感情をなくすことではありませんでした。

 

 

 

不安も、

寂しさも、

恥ずかしさも、




あるまま、

わたしも居ることでした。

 

 

 

 

わこ

 

 

 

 

 

 

 

 



「自分に戻る」


どこか惹かれる響きがあります。




無理をしなくていい。

そのままでいていい。



そんな安心感を感じる人もいるかもしれませんね。



私もそうでした。

 

 



そして、自分に戻るとは、



本来の自分を見つける。

素直になる。


そんなイメージを持っていました。

 

 



だけど、今は少し変わってきました。

 



実際に私の中で起きたことは、

 



本当の自分を発見することでも、

素直な気持ちを伝えることでもありませんでした。




むしろ、

居場所を失っていた感情や感覚を、

少しずつ自分の中に迎え入れていくことでした。

 

 



不安。
寂しさ。
悔しさ。
恥ずかしさ。



本当はずっとそこにあったものたち。



だけど、一緒に居ることが難しかったものたち。




自分に戻るとは、



それらをなくすことでも、

 

ポジティブに変えることでも、

乗り越えることでもなく、

 




それらに、


「ここに居ていい」

と言える場所を、

 

 

自分の中に、

つくっていくこと

だったように思います。





私にとっての「自分に戻る」は、



少し離れてしまっていた自分を、

もう一度迎え入れていくこと。




そんな感覚に近いように思います。




次回からは、

私自身の体験を通して感じてきたことを交えながら、

「自分に戻る」ということについて、

もう少し具体的に書いてみたいと思います。
 

 

 

 

わこ

 

 

 

 

 

 

 

最近、

ゴミを捨てる時間が、
ちょっとした楽しみです。

 



少し前のわたしなら、
そんなことは思わなかったと思います。

 

 

 

 

より環境問題を考えるようになったとか

 

 

丁寧な暮らしを心がけるようになったからではなく、

 

 

 

 


そうなったきっかけは、

 

 


先日、
揮発性のあるものを処分する必要がありました。

 

 



どう捨てればいいのかわからず、
 

 

行政に問い合わせ、


処分方法は教えてもらえました。




でも、


本当にこれで大丈夫だろうか。

回収する人は危なくないだろうか。

もし引火したらどうしよう。



そんなことが気になって、

なかなか捨てられずにいました。



そして、
十分に安全対策をして、
ようやく処分しました。




その帰り道、

少し不思議な感覚がありました。




ああ、

ゴミを捨てることの中にも、

わたしが居るのかもしれない。

 

 

 

 

何を言っているのだろう、
と思う人もいるかもしれませんが、

 

 

 

でも、その時は本当にそう感じたのです。

 

 

 

 


それからは、

 

 

いつもくちゃっと丸めていた紙も

半分に割いて捨ててみたり、

 

 

 

プラスチックの袋も

結んで捨ててみたり、

 

 

 

ここ(ゴミ)にもわたしが居るな、

 

 

 

ゴミを通して自分を感じる時間を、

楽しんでいるという感じです。

 

 

 

 

そして、

 

 

成果を出したい、

役に立ちたい、

何者かになりたい、

 

 

そう頑張っていた頃より、

 

 

ずっと生きている実感があります。

 

 

 

 

 

こんな些細な積み重ねが、

 

 

 

 

暮らしとなり

 

 

生き方となり、

 

 

在り方となり、

 

 

自分の人生そのもの、

になるのかもしれない。

 

 

 

 

ゴミを捨てながら、

そんなことを感じています。

 

 



わこ