左手で持ってるはずのものが、落ちる。

左手だけだったはずが、右手、時々、お箸がきちんと動かない。

ご飯食べるの、顔が疲れてしんどい。

すごく、疲れる。

ストレス?
疲れてる?
年?

わかんないけど、恐い。

こうやって、漠然と不安になってるときに、心ない対応をされた。ひどい言葉を投げられた。

きつかった。
もう、いいや、て、思った。
もういいよ。もう、連絡しないから。
もう、なにも言わないよ。
もう、なにも。

今まで、色々がんばってみた自分がバカみたいだ。

なにも、伝わってなかった。
私は、そんなにバカだと思われてたのか。
もう疲れたよ。
寒いからか、他に理由があるからか、最近、肋間神経痛がひどい。
時々、左側も痛い。
これ、おかしい。

右側は重粒子線に焼かれてる。
肋間神経痛は間違いなく出てくるんだろう、と、最初に説明を受けた。
除圧手術でせっかくなくなったのに、また出るのかぁ、と思ってたけど、手術前ほどではなかった。
春に、夜、目も覚めるほどの痛みがあった時期もある。
でも、いつの間にか収まって、気にならない程度になってた。

それが最近、痛む場所が変わった。
胸の前が痛い。
正確には、胸の真ん中?
まさに心臓のあたりを、太めのキリでグリグリされてるような痛みが時々来る。

でも、前が痛むこともあれば、以前と同様、背中が痛いこともあり。
右全体が痛いこともあり。

でも、やっぱりおかしいのが、左側が時々痛いこと。
もう一つ。下肢のピリピリ。
時々、電気を流されたような、ピリっという痛みが、右、左とも、走る。

次の検査まで、一ヶ月半。

無事にすごせますように。
次の検査も、何事もありませんように。


重粒子線治療終了から、もう、一年たってしまった。
一年後に、生きてんのかな。なにしてんのかな、自分。と思ってたけど。

大丈夫。
生きてる。

不自由は色々あるけど、自力で動けてる。

障害者手帳も交付されて、障害者になってしまったけど、恩恵を受けまくろう。


こうやって、一日一日、積み重ねていって、
十年後に、あの頃は大変だったよね、って、笑い話にしたい。

まじで、子ども達とお酒のみにいくのが、夢だ。
絶対ある、とも言えないけど、絶対ない、とも言えないと思うモノ。

命のバトン。

二年前、四男を無くしかけた。
ごく簡単なはずな手術を受け、術後、急変。
緊急再手術、となった。

まだ一歳半。
ぜんそく持ち。
麻酔のリスクも大きい。

もう、この子を失ってしまうのかもしれない、と、本気で覚悟した。

嘔吐し続け、飲水もできず、朦朧としたまま泣き、眠り、を繰り返しながら、
時々ぱっちりと目を開け、私をじっと見つめて、
「まんま。」と私を呼び、また眠りに落ちる。

あの時、あの子も死が近づいていることを感じていたのかもしれない。

私も、あの子の死を覚悟した。

再手術は成功し、術後の回復も順調で、一年定期検診に通ったのち、
小児外科は卒業した。

その一年後。
自分の病気が分かった。
悪性の可能性、という宣告を受けたのは、
四男が死線を彷徨ったのと同じ病院。

ふと思ったのが、
私は去年、あの子に自分の命をあげてしまったのかもしれない。ということ。

自分の残りの寿命を子どもに分け与えることができたのなら、
それでいいや。
私が病気になる事で、子どもが迎えるはずだった運命を引き受けられたのなら、
それでいいや。

私は、四人もの息子に恵まれた。
末っ子ももう二歳。
生物として、私の使命は全うした。

私の命のバトン、子どもに渡せたのなら、もう、いいや。

そんな妙なあきらめがあった。

生きて、子ども達が大人になる事を応援することはできなくなるかもしれない。
でも、死ねば、想いはたぶんずっと残って、
みんなが大人になって、年取って死ぬまで、ずっとそばで見守れるかもしれない。

こんな、妙な事を考えた。



なぜ私がこんな妙な病気になり、
また、それがなぜ今なのか。
そして、なぜ、私は生かされているのか。

生きていることに恐らく意味は無い。
生物として、生まれ、成長し、生殖し、老いて、死ぬ。
人間も所詮動物である。

四男に渡してしまったかも、と思った命のバトン。
そんなものは無くて、まだまだ生きていいのなら、
これからはもっと欲張って生きたい。

やっぱり私は命のバトンを渡してしまっているのなら、
すべき事をやり遂げてから、終わりにしたい。

だがやはり、そもそもそんなものは存在しない、と信じたい。
あの子はあの子の生命力で生き、
私も私の生命力で生きていく。

与えられた人生を、精一杯生きたい。
幸せになるために。