初めて作品が掲載されるという事実に喜びと不安を感じている日々です。
今だからこそ言える感謝の言葉をここで述べさせて貰おうかなと思います。

僕が絵を真剣に取り組み始めたのは遡ること10年前、18歳の頃でした。
それまでは落書きをするかしないかといったところ。
先にデビューを飾った同世代、年下のほとんどは小学校、中学校から真剣に取り組んで来た人ばかり。
漫画を描いてきた経歴は数年前にデビューをした子たちにやっと追いついたと言った所です。

ですから、スタートラインを切った年齢を考慮しなければ、平均的な状態なのではないかなと思っております。
それでも僕という人間は本当に運の良かった人間だと思います。
僕がここまで来れたのはひとえに環境のおかげ、ですので順に感謝の言葉を公私を問わずここに書き留めたいと思います。


新井祥先生には未だにアドバイスを貰ってます。
新井先生との出会いは僕の人生をまるごと方向転換しました。
僕は新井先生からあらゆる漫画の知識を詰め込んで貰いました。
現状の僕の漫画の技のすべては新井先生から受け継いだものです
結局ボクには4コマのセンスはなかったので、同じ線状に並ぶ形にはなれませんでしたが
僕は新井先生が自身の仕事では使っていない技を全て教えこんで貰いました。
デビューまでの数年は僕のアシスタントワークを減らして自分で作業をするという、
アシスタントとして本末転倒な環境になっても僕の背中を後押ししてくれました。
10年、先に進んでいく同級生や後進を前に悔しがる僕を励ましてくれました。
道に迷った迷った時は道標を立ててくれました。

僕の作品の面倒を見てくださっている担当の方にはもう本当に頭が上がりません。
何から何までお世話になっています、もうこの方なしではデビューとか無理だったでしょう。隅々まで僕の実力で出来る範囲の最大限を引き出すアドバイス、僕のようなBLを持ち込んでくる男なんていう変わり者を相手にここまでしてくださった方は初めてなので本当に嬉しいです。
この人の元で頑張ってみたいと思ったのは、ずっと新井先生だけだったのですが、今の担当さんにも同じことを思いました、出来る限りを頑張りたいと、自分だけの為ではなくこの人に恩返しが出来るように頑張りたいと、思っています。

一つ下の友達の伊藤君、学校を卒業してから今まで何度もあって夜な夜な漫画について語ったりしました。ある日どうしてこんなにうまく行かないんだろう、何が足りないんだろうと僕が弱音を吐いた時、「僕は巧さんはあとはタイミングの問題だと思っています、頑張って下さい」と励ましてくれたのを未だに忘れてません。暗いトンネルの中にいるような感覚を持っていた時期だったので本当に嬉しかったです。

かなり前のお話になりますけど、直接お話しした事はないけど新井先生にメールが届きました。
新井先生の読者の方で、僕が単行本を集めていた好きな作家の九州男児先生に僕が漫画家になれるかどうかを尋ねられたらしくって、その時「きっとなれると思いますちゃんと上達していますから。」というような言葉を頂いたらしく、それを報告する内容でした。
本当に嬉しかったです、まだ目指して間もない頃だったので同時に「あ、もう引き返せないぞコレ」と情けない事を考えた事もすっかり覚えています。諦めかける度に心の支えにしてきました。


それと学校の関係者様、生徒達。
26歳になったある日専門学校で学務の仕事をしていた新井先生の漫画に出てくる青山先生にデジタルの教師にならないかと薦められました。当時ボクは正直漫画家になるという事を半ば諦めていました。投稿ももう辞めていました。
アシスタントとしての仕事にも十分誇りを持っていたのでそれでも構わないだろうと。

実力もそれほどまでもないし、年齢的にも多くの人がデビューを決めて行っていた時期。
正直当時26歳はデッドラインだと考えていました。周りも同じように考えていたようでその頃、漫画家を目指していて僕と同じようにうだつの上がらずにいる同級生達は
ほぼ全てがその時に道を諦めて行きました。
僕より何年も前から絵を書いている上手な人達がどんどん辞めていきました。
目に見えない大きな壁がみんなの前にあったような気がします。
そんな壁を前にボーゼンと突っ立っている時期でした。数少ないデビューしていく子を眺めながらあの子達にはこの壁がないのだろうか、これが才能の壁なのだろうかと考えていました。
今思うと単純に自分の努力不足という壁なんですけどね。

そんな暗中模索の時期でしたから最初は専門学校の講師の仕事を断ったんです。
デジタルの機能を教えるだけでいいと言われたのですが、僕のような志半ばで諦めつつある
才能のない人間が、夢を持ってやってくる子たちの前にどの面を下げて立てばいいのかと。

そんな事を新井先生に伝えたら、やりなさいと言われました。
正直断って正解だと思っていたので驚きました。
新井先生からはその時「こういう時に大喜びして講師になって子どもたちの前でふんぞり返る奴も多いけど、そういうふうになったらダメだ、でも転機を前に怖気付くのもダメだ、何事もチャンスなんだから」と言うような言葉を頂きました。
それで一応、数年だけ、どうせ親御さんからクレームでもついてクビになるだろうと後ろ向きに考えつつ講師になりました。
この仕事は未だに僭越だと思っています。
講師として初めて子どもたちの前に立った時、
あぁ、この子達ももうすぐ自分と同じ道を進むのだ、と考えました。辛い誰にも褒められない何故か説教すらされちゃう暗い森とトンネルを走り抜けるんだ、一握りの何かしらの才能というカンテラを持った子達だけが迷うことなく暗い道に明かりをかざして進んでいくんだと。

学校ではすでにデビューを決めた子たちの作品が花々しく飾られていて入学してくる子達はみんなそれを見て夢を持ちます。
入学して一年の間は一から始める子たちも自分も負けないぞと奮起しているのですが、二年にもなると気付くんです。
圧倒的に土台が足りない、実力が足りない、経験が足りない、好きが足りない、読書の量が足りない、足りないものの枚挙に暇がない事に。
そういう顔は見ればわかりました、自分だって同じでしたから。
その時新井先生が僕にしてくれた多くの事の大きさを知りました。

そしてこの子達は少し前の自分自身だと思いました。
この子達は8年前、入学した18歳の自分なんだと。自分があの時、夢を見て歩き出した道の上に立って僕を見ているんだと。
痛感しました、僕の背中はこの子達に向けていい大人の背中じゃないと。
そして改めて投稿する決意を持ったんです、なれるなれないではなく、僕は投稿を続けなくてはダメだ、この子たちの前で諦めていく姿だけは見せてはいけないと思いました。なれるなれないはもう考えないでおこう、自分の中で一番だと思える作品を描いて持ち込みを続けてみようと思いました。そうすればこの子達も卒業後も投稿を続けて、自分みたいにうだつがあがらないなんて事はなくデビューする子も出てくるかもしれない。
そこからは嘘のように上手く事が運んで、ここまでこぎつけました。
とりあえず掲載を一回でもされるだけの事は出来るんだぞ、と自己満足で講師としては稚拙かもしれないけど、第一歩を見せることが出来ました。

ずっと応援して下さった新井先生の読者の方々も僕なんかを暖かく見守ってくれてありがとうございました、言葉の一つ一つが支えとなって頑張れました。

まだまだ道の半ばどころか序盤ですが、これからも努力を惜しまず頑張って参りたいと思います。皆さんからいただく不屈の情熱こそが僕の一番の取り柄だと思っています。

本当にありがとうございます。